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「映像の逆訴」


〜5〜

「お母さん、只今。今、帰りました」
「お帰り。身体の具合は、その後どう」
 由美子は、父親のことが心配になって、五時の退社時間になるや否や、飛んで帰ってきた。医務室の高島先生が言ったことが気になって、いても立ってもいられなかった。その後、家にも何回か電話を入れたのだが、母親は出掛けていたらしく、虚しい呼び出し音がするだけだった。
「お母さん、昼間は何処に行っていたの。何回も電話をしたのに。もう」
「あら、そうだったの。御免なさい」

「それよりも、お父さんの携帯に電話した?」
「それなのだがね。あなたが会社へ行ってから、三回ばかり入れたのだけれども、その都度、電源が切れているか、電波の届かないところとか、言っていて、繋がらないのだよ」
 今までに、母親がこんな不安な顔を見せたことがない。
「電波が届かないって、言ったの」
 由美子は、そんな不安を引き取るように言った。
「そうだよ。三回ともね。」
 由美子は、母親の(電波)という言葉に敏感に反応した。嫌な気分が襲ってくる。
「お母さん、自分の携帯から掛けたの?」
「いや、私のものは、あまり使っていないから、家の電話からかけたわ」
「そう」
 と、言い放し暗い表情を見せながら、着替えるために自分の部屋に行き、ジーンズにTシャツ姿で、居間に戻ってきた。格好は軽快であるが、気分は最悪な様子だった。すると、待っていたかのように、
「由美ちゃん、これは何なのかね」
 と、母親は、自分が使用しているauの携帯電話を由美子の目の前に差し出した。その携帯は、父親と家族割引を受けるということで、由美子が契約をしたものだった。父親はモスグリーン。母親は淡いピンク。お揃いの形の携帯だった。由美子は、母親からそれを受け取ると、画面に見入った。E―メールの着信があった事を示している。これは、珍しいことである。由美子は母親がE―メールをしていたなんて、今の今まで知らなかった。
「これって、お母さん。メールがあったのよ」
「メールって?誰からだい」
「お父さんからに決まっているじゃない」
「えっ、お父さんからかい」
 母親は、目を凝らして、携帯の画面に見入った。
「そうよ。そうに決まっているでしょう」
 由美子は、興奮気味にそう言うと受信ボックスを開ける。直ぐにメインフォルダーが出てくると、一気にそれも開けてみる。たった一つだけ、着信があった。それには、
(発信日が九月十七日の朝七時〇五分。件名は、お母さんへ)
 あとは本文である。
「お母さん、九月十七日と言えば、今日でしょ。それに、発信の時間が七時過ぎよ」
「それで、その本文には何て書いてあるのだね」
 母親も心配そうに訊いて来た。
「ちょっと待ってね」
 由美子は、本文に目を通した。
(今、仙台にいます。久し振りに旧友に会ったので、これから松島に行きます。明後日には帰ります。お土産を待っていてください)
「お母さん、お父さん、松島にいるらしいよ。旧友って書いてあるけど、誰なのかしら。心当たりはあるの」
 由美子の言葉に鈍く反応して、
「知らないね。お父さんって、あまり、昔のこと話さないでしょう。あなた、聞いたことある」
「そう言えば、そうよね。お父さんの昔話って聞いたことがないわ」
「そうでしょう」
 お互いに納得するような感じだ。
 そう言われてみると、古屋謙次郎は、自分の生い立ちとか、過去の事を家族に話したことがなかった。勿論、そのことが話題に上がることも少なかったが、古屋自身が、自ら語ろうとはしなかった。控えめの父親だけに、格好をつけて、若い頃の自慢話なんかしたくなかったかも知れなかった。
「でも、あるなしは別にして、とにかく、連絡が来てよかった。」
「本当に。私も心配していたからね」
 由美子は、母親の安心した顔を見て安堵した。勿論、自分自身も安心したが、だからと言って、医務室の高島先生の言った言葉を覆すまでには至らなかった。心のどこかに先生の科白の残滓が漂っていた。
 一方、母親もちょっと可笑しいと思っていた。お互いに携帯電話を持って二年が経つが、今までにお父さんとメールのやり取りをしたことがなかった。メールをするぐらいであれば、電話をかけてくれば済むことである。それも、朝の七時過ぎなら、自分も由美子もとっくに起きている。一声聞けば、それだけで良い筈である。でも、余程のことがあって、電話をかけられなかったのかも知れない。いずれにしても明日には帰ってくる。そうしたら、きつく叱ってあげれば良い。無理にそう思って、夕食の支度に掛かった。
 由美子の弟の秀樹は二歳下の大学生。大学のゴルフ部の合宿で、一週間前から北陸―金沢に行っている。いつもなら、四人で食卓を囲むのだが、ここ三日間は、由美子とお母さんの二人だけの宴だった。余りアルコールは飲めない二人だが、なぜか、五百mlのザ・プレミアムモルツビールを半分ずつ飲んだ。父親の謙次郎は底なしに飲んべぇだ。それでも、以前に較べれば外で飲む回数は減ったが、その分、家で飲むとビールなら毎日、大瓶で四本ぐらい。日本酒なら五合。ウイスキーはそんなに飲まないが、最近では、健康に留意しているのか焼酎を飲むのが多かった。そんな父親とは反対に、二人はアルコール耐性が出来ていないせいか酔いの回りが早い。母親の目はトロンとして、眠りの世界に誘われているような感じだ。由美子もそれに近い状況になっている。このまま、何もなければ、暫しのお休みの時間になる。
 電話の鳴音がそんな空気を一掃した。由美子は、テーブルから離れる時に弁慶の向う脛を激しく打った。あまりに慌てて立ち上がったために、そうなった。ウッと、声にもならない呻き声をあげて、電話を取った。
(お待たせいたしました。古屋です)
 さすがに、オフィスレディ。待たせた時間を埋め合わせするように、丁寧に応対した。
(何を格好つけているの。姉さん。俺。俺)
(なあ〜のだ。秀樹?)
(秀樹はないだろう。あなたの弟に向かって。そういう言い方はないと思いますよ)
(なによ、まだ、合宿中でしょう。抜け出していいの?)
(今日で、終わり。お陰さまで、結構良いスコアが出たので、まあまあの合宿でした)
(そう、それは良かったわね。あなたの目指している、プロゴルファーになれるといいけどね)
(今回の合宿の成果を見ると、間違いなくプロになれるね。そうしたら、姉貴にも苦労させないで、嫁に出してやるよ)
(なに、バカなこと、言っているの。ところで、なんなのよ。突然、電話をしてきて。用事があるのでしょう)
 由美子は、少し冷たい態度をとりながら、突き放した。すると、秀樹は、
(親父いる?)
(そうか、あなたは知らなかったのね。あなたが合宿に行ってからか。お父さんは仙台に行くって言って、出掛けたの。三日前のこと)
(仙台?仙台に行くって言って、出て行ったの?)
(そうよ。それが、なにか)
(傍に、お母さんいる?)
(いぇ、ちょうど、夕飯が終わったから、後片付けをしているわ。なによ。なにかあったの?)
(いや、お父さん、やはり出掛けていたのか。それにしても、仙台に行くと言った人が、なぜ、金沢にいたのかな)
 由美子は、秀樹の言葉に、自分の耳を疑った。
(えっ、お父さんが金沢にいたと言う。)
(そうなのだよ。確か、一昨日の昼頃かな。その日は、雨でコースを回れなかったので、金沢の街中に買い物に出たのだよ。合宿中の唯一の休養日になったのだけど。すると、駅前にある全日空ホテルから、お父さんが出てきたのだよ)
(一人で?)
(いや、二人だった。親父と、もう一人女性がいたよ。年の頃はどうかな。四十歳前後かな)
(秀樹、それって、お父さんに間違いないの。他人の空似ってこともあるでしょう)
(違う。あれは、絶対に親父だよ。息子の俺が言うのだから間違いはないさ)
(そんなことってある。だって、今日の朝七時過ぎに、仙台から松島に行くっていうメールが、お母さんの携帯に入ったのよ)
(そう言われても、俺が、見間違うはずがないよ)
(相手の女性って、どんな感じの人。ちゃんと、顔を見たの?)
(いゃ、結構、いい女だったよ。美人だし。それにスタイルも良かった。女優さんで言うと、若い頃の佐久間良子という感じかな)
(それで、その後どうしたの?当然、行き先を確かめたのでしょうね)
(そんな事、出来るはずがないじゃないの。俺、一人じゃないのだから)
(それじゃ。どうなったのよ、その後?)
(それがですね。なんと、二人でタクシーに乗ると何処へやら。消えちゃったのさ)
(お父さん、浮気をしているのかしら。そんな事、お母さんが知ったらショックで寝込んじゃうわよ)
(あのね、浮気という感じではなかったね)
(なんで、そんなことが、あなたに分かるのよ)
(男と女。浮気するぐらいの関係だったら、もっと、馴れ馴れしい態度を取るはずだよ。あの時の二人には、そんなムードはなかったね。親父の態度もどこか余所余所しかったし)
(分かったようなこと言っちゃって。子供の癖に)
(あなたよりは、確かに二歳若いですが、こと、男と女の関係論については、はるかに俺の方が先輩ですよ)
(生意気、言っている場合じゃないでしょう。このアホ弟)
 由美子は、今日の医務室での高島先生の一言を、秀樹にも説明しようかとも思ったが、余計な心配をさせてはいけないと、胸の中に仕舞込んだ。それにしても、本来なら、仙台にいなければならない父が、なぜ、金沢に。携帯メールなどしたことがない父が、なぜ、母に出したのか。理解が及ばない、なにか不思議なことが、父の身の回りで起こっている。
(ところで、あなたは何時帰ってくるの?)
(あぁ、明日の夕方には帰るさ。そうしたら、夕飯を四人で食べようじゃないの。奇麗なお姉さま)
(バカ、お父さんが、本当に帰っているかどうか、分からないわよ)
(えぇ、帰ってこないの。じゃ、何時帰ってくるのよ)
(もしかしたら、帰ってこないかも知れない)
 由美子は、言い過ぎとは思ったが、敢えて、秀樹に聞かせることによって、不安に思っている自分自身を納得させようと、静かに言った。


〜6〜

 本富士署の二人の刑事、長谷川雄介と城之崎幸雄刑事は京都駅に降り立った。新幹線口を出て駅ビルの中を進むと、人ごみは、想像を絶するほどの混みようだ。
JR東海の『そうだ。京都。行こう』のキャンペーンが効いているのか、若いカップルや中年のおばさんたちの観光客で溢れている。去年は、善峯寺。今年は、三十三間堂。名寺・名跡を巧みに取り込んだ、動員キャンペーンは年々盛んになっている。この成功に、味をしめて、JR東海は、奈良についても、『うまし うるわし 奈良』という、キャンペーンを始めた。テーマは、薬師寺だ。東塔、西塔が千三百年ぶりに立ち並んだロマンを訴求している。それによって、古寺観仏のブームが再燃している。
 長谷川、城之崎領刑事は、京都府警の音坂刑事と駅前で落ち合った。車は、洒落たHONDAのオデッセイだ。直ぐに、喫茶『左京』に向かった。今年の秋は全国的に、夏の延長だ。朝十一時だというのに、既に二十九度だ。このまま行くと、日中は三十度をはるかに越えるだろう。三人は上着を脱ぐとネクタイを緩める。こうでもしないと、車中の冷房が利いていても、冷たさを感じない。
 車は、蹴上の都ホテルの前を通って、一路、南禅寺方面に向かった。車中で、音坂刑事が、根津神社の事件を訊いてくる。
 音坂が質問した。
「領収書の裏に書かれていたウコンって、一体、なんなのですかね?」
額に流れる汗を拭うと、長谷川が答える。
「いやぁ、それが、分からんのです。一般的な感覚でしたら、今、健康問題で話題のウコンと言うことになりますが」
「沖縄産の、あのウコンですか?」
「えぇ、そうです」
 長谷川は、自身なさそうに、整髪されていない髪の毛を掻き毟りながら言った。
「それに、ダイングメッセージという、見方もあるのです」
「ダイングメッセージ?」
 音坂刑事は、驚いた口調を見せた。
「えぇ、被害者が、死を前にして、犯人を教えるメッセージです」
 長谷川は、暗に、捜査の進行状況の進んでいない事を言ったようなものだ。
 音坂は、さらに、突っ込んできた。
「他に、手懸りになるものはないのですか?」
「それが、全くないのです。唯一の手懸りが、この領収書と裏に記されたウコンだけなのです」
 城之崎が続けた。
「もし、領収書から、手懸りが出てこないと大変なことになりますよ。早く、仏さんの身元を明かしてあげないと、成仏も出来ないだろうし、事件の糸口を解き解すためにも、何とかしないとね」
 音坂刑事が、窓外に視線を移すと、
「もうすぐ、南禅寺ですよ。山門の大きさに驚きますよ」
 長谷川は、声に動かされて、音坂の言う方向をみると、確かに巨大な門が見えてきた。南禅寺の山門だ。この辺りは、東山のドル箱観光コースだ。京都駅寄りは、清水寺、高台寺、知恩院の雄大なスケールを拝観出来る。南禅寺の先は、哲学の道。永観堂、真如堂、法然院、そして、足利八代将軍義政が、建立した慈照寺―銀閣寺に続く。
 三人は、南禅寺山門の前に立った。
「ここって、テレビの二時間ドラマ。それも、ミステリー番組に良く出てきますよね」
 長谷川が、おどけた感じで言うと、
「そうなのですよ。京都を題材にしたミステリーは、結構多いのですよ。歴史あるロマンが、山村美紗さんをはじめ、ドラマ化し易い環境にあるのですね。同じ、古都でも、奈良に較べると数段の違いがありますね」
「そうですよね。歴史ミステリーでは、奈良って面白いと思うのですが、現代の推理ミステリーは、京都や鎌倉に比較すると、確かに少ないですね」
「へぇ、おい、長谷川。一端のテレビ二時間ドラマ評論家みたいなこと、言っているじゃない」
 城之崎がチャチャを入れた。
「城之崎さん、京都は奥が深いのですよ。古から天皇家・公家を巡り、そして、武家団との葛藤・支配。それに、近代の大政奉還。すべてに京都が係わっています。日本の歴史は、京都抜きには語れません」
「勉強になります。じゃ、南禅寺の寺歴はどうなのかな?」
 城之崎が、長谷川に訊くと、
「先輩、私は、バスガイドではないのですから。一々、そんな説明なんか出来ませんよ。いい加減にしてください」
「そう言うな。今、ちょうど昼時だろ。『左京』に行くのは失礼だと思ったから。
 音坂さん、昼にしましょう。名物の豆腐料理を食べたいですね」
 城之崎の提案に二人とも素直に従った。近くの料理店に入って、ゆどうふに京風料理を織り込んだ、雲水料理を食することになった。
「城之崎さん。日本の宗教の禅宗はご存知ですよね」
「禅宗?あぁ、歴史で習ったかな」
「そうでしょう。禅宗には、大きく分けて三宗あるのですね。一つは、栄西禅師が興した臨済宗。道元禅師の曹洞宗。隠元禅師の黄檗宗。これは、歴史でならいましたよね。その中で、臨済宗については、京都五山、鎌倉五山と言われるように、それぞれの宗派の本山があります。鎌倉で有名なのは、建長寺や円覚寺。京都では、天竜寺、相国寺、建仁寺などが上げられます」
 城之崎と音坂は、ゆどうふを突付きながら、長谷川の講釈を黙々と訊いている。長谷川は、調子に乗ってきた。
「そこで、南禅寺です。第九十代亀山天皇が南禅寺で出家して法皇となりました。この時は、鎌倉時代。元のフビライ・ハーンの全盛期です。かの有名な元寇の役もこの時代の出来事です。離宮を施捨して禅寺として開山、無関普門(大明国師)を迎えたのです。寺の隆盛は、この後、室町時代になりました。先ほど説明した、京都五山の上に列せられて、歴代の住持には臨済各派の中から、傑出した人を選び、その人が任にあたったのです」
 二人の食のスピードは落ちない。黙って食べている。
「境内ですがね。勅使門、三門、法堂、そして、方丈の伽藍が一直線になっていて、周辺には、十二の塔頭が並んでいます。三門は藤堂高虎の寄進。大方丈は、御所清涼殿を、小方丈は伏見城殿舎を移築したと言われています。特に、小方丈の襖絵は、狩野探幽による「水呑の虎」で、これは、なかなかの名品ですよ」
 長谷川は、ひとしきの説明を終えると、ふうふうしながら、ゆどうふを食べ始めた。二人は、既に食べ終わっている。長谷川は、若いだけにガツガツ食べる。スピードが速い。
「おいおい、そんなにガツガツ食うな。豆腐は逃げないよ」
「お二人のペースに、合わせているだけですよ。それよりも、早く、被害者の身許確認に行きましょうよ」
 長谷川は、そう言うと、すばやく席を立った。性急な動きに城之崎も音坂も従わせざるを得ない。外に出ると、秋光が眩しかった。この光は、この後、被害者の身元確認を照光してくれるのだろうか。
 午後一時を過ぎると、観光客の姿が飲食ゾーンから消えて行く。東山エリアの観光スポットは豊富だ。神社仏閣だけでなく、琵琶湖疎水も有名である。これは、琵琶湖の湖水を京都へ運ぶための水路だ。発電と水運。京都の近代化にも貢献した。日本初めての水力発電。路面電車の電力にもこれが使われた。鴨川と琵琶湖を結んだ水運にも使われた。現在では、水道用水としての用途が大部分だ。四季折々に琵琶湖疎水の趣は観光客を虜にするが、初秋の京都の絵作りも紅葉を前にして、準備に余念がない。
 『左京』は、飲食ゾーンの一番奥にあった。造りは、和風。竹をふんだんに使った入り口も京都の店によく見られるものだ。暖簾をくぐって店に入ると、琴の音が聞こえてくる。あくまでも和風を追求している、非毛氈の椅子が眼に飛び込んでくる。
「おいでやす。なに、しましょう」
 奥から、女将と思われる着物姿の女性が長谷川の傍にやってきた。姿が柔らかく、日本女性特有の品がある。余りに近くに寄ってきたので、長谷川は、瞬間うろたえる様な表情を見せた。次いで、警察手帳を翳して、
「東京、本富士署の長谷川と申します」
「あら、東京の刑事はんですか。なんでしゃろ」
 優しい京都弁に長谷川はメロメロになったようだ。
「実は、ちょつと、見ていただきたいのですが、この領収書はお宅のですよね」
 女将は、眼鏡を取り出して、長谷川が差し出した領収書を、ポリ袋を通して見ると、
「そうどす。これは、家のものです」
「日付は九月十五日になっていますが、間違いないですね」
「間違い、おまへん」
「ちょっと、言い辛いのですが、実は、東京の根津というところで、殺人事件がありまして、その被害者がこの領収書を持っていたのです」
「そうどす、か。嫌なことですね」
「それで、領収書をだした相手の事を覚えてないかどうか、お尋ねしたいのでが」
 長谷川がそう言うと、
「九月十五日というと、一昨日ですね」
「はい。そうです」
「あぁ、その日は、珍しいほどの大雨だったので、お客さんの数も少なかったですね」
 女将は、城之崎に向かって言った。
 確かに、そうだった。京都は大雨だった。秋の長雨前線が一日中、関西地方に停滞していた。奈良の方では、中小の河川の氾濫や地すべりが起きていることを、テレビのニュースで派手に報道をしていた。東京が晴れていたので、二人の刑事には、ピンと来なかった。
「それじゃ、特定が出来そうですか」
 城之崎が、期待して言った。
「ちょっと、待ちや」
 女将は、レジの傍に行って領収書の束を持ってきた。一ページ一ページ丁寧に捲ると、
「あぁ、コーヒーを飲んだお客さんや」
「分かりました?」
「えぇ、ちょうど、その時に、毎日来る常さんが、やはり、東京からいらはったお客さんを連れてこられて、領収書を発行しましたから。この日は、七枚しか出していないので直ぐに分かります」
「それで」
 長谷川は、身許が割れるかも知れないと、意気込んだ。
「この領収書は、その時に私が、書いたものです」
「相手は、どんな感じの人でした?」
 女将さんは、天井に眼をやり、思案に耽っている。もったいぶって、なかなか話が進まない。
「そうや。男はんと、女子はんです」
「男と女?」
「そうどす。あまりに雨がひどく降ってきたさかいに、お店に飛び込んできました。勿論、お二人とも傘を持っていました。傘立てに入れると、一番奥の席に行きました。ほら、あそこのテーブルです」
 女将が指差した先には、木製の厚みのあるテーブルがあり、そこには、三人のお客さんが座っていた。
「男と女か。幾つくらいに人でしたか」
 長谷川が、言うと。城之崎が一枚の写真を取り出し、女将の目の前に差し出した。
「女将さん、そのうちの男って、この写真の人ですか?」
 それには、根津神社の被害者の顔が写っている。女将さんは、顔をしかめながらも、ジッと見入った。思い出すようにして、
「刑事はん、この方とは違います」
「えっ、違います」
「違います。もっと、若い感じがしましたし、髪の毛の量が余りに貧弱です」
「そうですか。違いますか」
 長谷川はガックリした。これでは、被害者の身許が分からない。もし仮に、被害者が二人連れの片割れの男だとしても、それだけで、身許が割れたことにはならない。なぜなら、被害者そのものの身許が明らかになっていないのだから。だが、一緒だとしたら、被害者の前日の動きが分かることになり、手懸りとなるはずだった。
 城之崎は、落胆した表情を浮かべると、気分の仕切り直しをした。
「それじゃ、女将。女性は、どんな感じの人だったのかな。なんでも、気の付いた事を教えてくれないかな」
 被害者に身許を確認するヒントがなければ、その時に一緒にいた女性に的を絞るしかない。
「そうどす、なぁ。髪の毛は黒くて、結構長かったです。色白で、水商売の人とは違いますね。品のある出で立ちです。女優で言うと、若い頃の三田佳子はん、ですかね」
「三田佳子ね。その他に何か気が付いたことがありませんか?」
 城之崎は、手懸りになるものがあれば、トコトンまで追求しようと思っていた。被害者からの事件に結びつく情報はない。女性からしか、糸口を解せない。その鍵を握っているのは、女将だ。
 結い上げた髪に手を添えると、
「そうそう。刑事はん。テーブルにお水を持って行った時に、確か、女子はんから、金沢と言う言葉を聞きました」
「金沢?そう言ったのですか?」
「そうどす。それから、ホテルと言う言葉も聞きました」
「どこのホテルですか?」
「いやぁ、そこまでは、解りしまへん」
「そうですか。金沢?ホテル?でも、京都まで来た甲斐がありました。被害者が持っていた領収書には、男と女。二人が係わっている事が分かっただけでも、貴重なことです。ありがとうございました」
「女将はん、もう一ついいですか」
 音坂刑事が訊いた。
「このな。領収書の裏にカタカナでウコンという、文字が記されているのや。これに、心当たりはあるか」
 女将さんは、ハッと気が付いたのか、
「そうや、刑事はん。二人で何か話し合っているときに、メモがないからと言って、金額を書き込んだ領収書を渡しました。」
「メモ代わりに?」
「そう、メモ代わりに渡したら、男はんが、何か、書き込んでいました」
「良く見ていましたね」
「そりゃ、刑事はん。あんな奇麗な女子はんなら、男はんだけでなく、女はんも関心を持ちますわ」
「そんなに奇麗な女性でしたか。言葉遣いはどうでした?」
「いやぁ、あれは、東京の女と違うの」
 女将は、奥に行くと、店員にも聞いてきた。
「東京の女」
「女将、先刻、聞き漏らしたのだが、男は、何処の人だか、気がついたかな」
 音坂の疑問に?
「男はん?いゃ、分からんわ。あまり、話をしなかったわ」
 それを訊いて、三人はお互いに顔を見合わせ、深い溜息をついた。
 とに角、被害者が持っていた領収書は、間違いなく『左京』のものである。男と女の二人が店にいたこともわかった。だが、そのうちの男は、根津神社での被害者ではない。結局、身許を割り出すような物証は発見できなかった。だが、女性がそこにかかわっていることが判った。それも、東京の女だ。一方の男は、どこの誰なのか。そして、どんな役割を果たしているのか。不確かな情報の中に、これはこれで収穫だった。


〜7〜

「先生。由美です。こんにちは」
 古屋由美子は、勢い良く医務室のドアを開けた。すごく元気だ。一昨日の、あの様子は何だったのだろうか。風邪だとの自己診断も何のその、看護師さんにも、投げキッスを送ると、診察室に入ろうとした。
「由美君、只今、診察中です。暫し、お待ちを」
 診察室から、高島先生の時代かかった声が飛んできた。〈オットト〉、由美子は、カーテンの前で急ストップ。逆戻りして帰ろうとすると、またまた、診察室から、声が飛んできた。
「由美君、暫し、待ち給え。具合は良くなったのかな。それに、なんぞ、話があるのと違うのかな」
 由美子は、具合がよくなったことと、その後の父親の話をしに来た。高島先生に、携帯メールの件と、秀樹が金沢で父親に遭った件を報告したかった。やはり、父親の周囲で考えられないようなことが起きている。結局、昨日も帰ってこなかった。連絡もない。勿論、由美子の受信機にも父親からの電波は入ってこない。家族の心配を他所に、何をしているのか。気になって、熟睡が出来なかった。
 高島先生は。診察しているわりにはノンキだ。緊張感がない。だが、これが先生の魅力なのだ。いつも、この調子で患者さんに接する。名医と言われて久しいが、そんな事はおくびにも出さない。
 医務室は、Mブックセンターの専属である。だが、外部の患者さんも先生の診察を求めてくる。会社も鷹揚だが、先生もそれに輪をかけて鷹揚だ。特に、心身症や神経症の患者さんは、三軒も4軒も病院回りをした上で、最後に先生のところにやってくる。
 先生の診察は丁寧だ。どんな患者さんがきても、最低でも三十分をかける。家庭での生活態度がどうなのか。サラリーマンだったら、会社での仕事はどうなのか。精神的にまいっている所がないのか。置かれている状況をまず聞く。その上で、器質的な疾患なのか、機能的に不全を起こしているのか。検査をする。だが、殆どが問診だけで、ある程度の予診が付く。検査は、飽くまでも予診を確定するためにするのだ。
 勿論、先生の医務室に来る患者さんは、Mブックセンター以外は紹介だけだ。病院の梯子を続けた人が多い。遠いところは、北海道から来るし、九州からも来る。
 その殆どの患者さんが、不定愁訴を訴え、病名を欲しがって病院めぐりをしている。多くの病院が、気のせいでしょう。と言われて、精神安定剤や自律神経遮断剤が与えられる。処方された本人は、正式な病名がない上に、精神安定剤を呑むことになり、不安な毎日を過ごすことになる。これの繰り返しが、病院ツアーとなる。
 こんな患者さんが来たことがあった。二十七歳の女性。ストレス性の大腸炎の患者さんだ。先生は、ある程度の診断はついているのだが、器質的な検査をした上で病名をつけた。患者さんは、五ヶ所目の診察で、やっと病名を貰ったと、安心した表情を見せた。それまでは、器質的な異常はない。気のせいだ。怠け病じゃないのか、との診断ばかりだったが、先生は、病名を、「ストレス性の大腸炎」と、した。
 朝、会社行くために電車に乗ると、決まって便意をもよおす。それが、毎日である。だが、不思議なことに、帰宅時には、それが起きないのだ。先生は、出社拒否症までには至っていないが、会社でのストレスが、なんらかしかの形で、係わっていると読んだ。
「こんにちは。高島です。気分はどうですか?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「もう、大丈夫ですよ。ちゃんと、原因が判りましたから」
 患者さんの顔に、ポッと赤みが差した。不安げな表情に安心感が蘇ったようだ。
「先生、病名が判りました?」
「勿論、判りましたよ。ストレス性の大腸炎ですね」
「ストレス性の大腸炎?」
 患者さんの言葉に力がこもるようになった。
「そう、あなたの消化器系の全てを検査いたしました。器質的に問題はありませんね。ちょっと、あれかな。自律神経の迷走神経緊張型かも知れないな。だから、緊張すると、消化器系―胃腸とか大腸。場合によっては、胆嚢なんかにも出てくるね」
「大丈夫なのでしょうか?」
 不安げな緊張感が消えている。はっきりとした診断名を貰い、具体的な原因も判ったので、少し安心したようだ。
「全く、心配はいらないよ」
「お薬は?」
「薬?本当はいらないのだが、安定剤だけでも、三日ばかり、呑もうかな」
「えっ、三日でいいのですか?」
「三日でも多いよ」
「凄い。ありがとうございました」
 患者さんは、すっかり気分がよくなったようだ。笑顔が浮かんできた。
「ただし、先生のこれから言う事を聞いてね」
「はい」
「今日は、金曜日。帰りは、症状が出ないのだから、家まで帰る駅のトイレの位置を調べて帰るといいよ」
「どういうことですか?」
 先生は、看護師さんにお茶を入れさせると、
「一番心配なのは、朝、電車の中で便意をもよおすと、沿線の駅のトイレが何処にあるのか、気になるでしょう」
「そうなのです。そればっかり心配して、気が落ち着かないのです」
「やっぱしね。だからこそ、駅のトイレの場所を調べておいて、便意をもよおした時には、電車を降りて、直ぐにでも行ける体勢を作っておけば良いのですよ」
 高島先生が、とんでもない事を言ったので、患者さんはキョトンとしている。先生は、なおも続けた。
「出来ることなら、家を早く出て、駅ごとのトイレに入るつもりで、電車を降りてはトイレに行く。降りては、また、トイレに行く。これを続ければそんなに心配する事はないよね」
「あら、先生。そんな事、出来るはずがないじゃないですか。時間が無駄になりますよ。変な先生」
 患者さんは、大きな声をあげて笑い出した。こうなれば、しめたものだ。もともと、器質的には問題がないのだから、ストレスを飲み込む態度がとれて、仲良くできれば、自然に症状は消えて行く。この患者さんは、それを実行すればよいのだ。診察室を出て行く時の後ろ姿には、入室した時とは別人の元気さが、溢れていた。

 診察室から、高島先生と清澄警部が並んで出てきた。
「おっ、由美君。元気そうじゃないか。一昨日が嘘のようだね」
 由美子は、ソファから立ち上がると、近寄りながら
「お陰さまで。どうやら、風邪ではなかったようです。お騒がせいたしました。反省しております。ごめんなさい」
 そう言って、先生の手を握った。
「さすが、名医由美君。自己治療も完璧ですね」
「先生、茶化さないで下さい」
 由美子は、わざと脹れ面をした。
 高島先生は、そんな由美子の頭を小突くと、診察室のカーテンを閉めて、清澄警部と一緒にソファに腰を下ろし、看護士師さんにコーヒーを頼んだ。その後、由美子の指先に注目した。
「今日のネイルカラー、なかなかいい色じゃないですか。由美君にピッタリだね」
「そうでしょう。ハーバーの通販で買ったのですよ」
「通販で?先生は買った事はないけれども、結構、流行っているのだね」
「そうですよ。今は、通販で買えないものはありません。便利だから。私の母も、嵌っています」
 由美子は、自慢げに指先を眺めなおして、先生にウインクをした。
「片目を瞑るのも上手になったね。ドキッとするよ」
 そう言って、清澄を見やって、
「あぁ、由美君、ちょうど良いや。紹介しようか」
 と、四十台の前半位か。ちょっとイケメン男の前に手招きで呼んだ。相手の人は、ソファに座っていたので、背の高さまでは判らないが、由美子好みの雰囲気があった。先生は、勿体つけるように、由美子を対面に座らせると、
「由美君、こちら、警視庁・本富士警察署の清澄警部。先生の患者さんの中でも優等生。君は、劣等性」
「あら、嫌だ。先生、そんな紹介の仕方ってありませんよ。もっと、売り込むように御紹介いただけませんか」
「清澄です。よろしく。高島先生には、公私共にお世話になっております」
 型どおりの挨拶をした。
 由美子は、またまた、先生に対して、脹れ面を意識的に見せようとした。
「清住警部。こちらの聡明な女性は、わが、Mブックセンターの宝。古屋由美子嬢、二十三歳。独身。彼氏いない歴、同様に二十三年」
 先生の紹介は、ウイットに富んでいる。と、言うよりも、由美子の紹介だけを誇張して紹介している。だが、先生の真意は、古屋由美子が可愛くてしょうがないのである。若さの中に礼儀と尊敬する態度があるからだ。
「古屋由美子です。よろしくお願いいたします」
 由美子は、初対面なので、清澄に対して、丁寧な挨拶をした後、
「また、先生は、如何にも、私がモテナイ様な言い方をするのだから。清澄警部殿、聞いてください。よろしいですか。彼氏いない歴二十三年ではなく、彼女にならない歴二十三年。ですので、先生の言い分を、そのまま聞かないで下さい」
「あぁ、嫌だね。由美君。今の言い方は、どっちみち、二十三年間は彼氏がいないと言うことじゃないのですか」
「あぁ、先生は、デリカシーがないのだから。乙女をそんなに虐めてどうするのですか」
「乙女ねぇ。乙女ねぇ」
 と、先生は二回繰り返した。清澄警部は、そんな二人のやり取りを笑いながら楽しんでいる。良いコンビだとも思っていた。イージーな付き合いではなく、年令や職業を超えて、フェース・ツウ・フェースの付き合いが出来れば、殺伐とした関係もなくなるに違いない。清澄も、捜査本部を預かる身として、そのことには神経を使っていた。
 由美子は思い直して、
「警部さんもいらっしゃるので、ちょうどいいですわ。お二人に聞いていただきたいのですが」
 高島先生は、ソファから身を乗り出して、
「お父さんの件かね?」
「はい」
「その後、どんな展開になっているのかね」
 由美子は、一昨日、家に帰ってからの事―父親からの松島へ行くとのメール。弟の秀樹の金沢での父親目撃情報―を、こと細かく説明した。
 清澄警部は、先生以上に身を乗り出し、メモを取りながら興味深そうに由美子の身振りよろしい、話を聞いている。
 一通りの説明を終えると、由美子は、深い溜息を吐き出し冷えかけたコーヒーを飲んだ。
 高島先生は、先日の由美子の話を聞いていて、謙次郎が、なぜ急に出掛けることになったのか疑問を感じていた。人が行動を起こす。起こすにはキッカケが必ずある。ならば、謙次郎に働いたそのキッカケは何なのだろうか。仕事上のことなのか。プライベートのことなのか。それとも、他に理由があるのか。事業を始めて二十年経つが、今回のような出来事は、今までにはなかった。事業は順調なのだ。妻の幸恵とも上手く行っている。家庭的には、何等不満を感じる事はない。それが、突然、家族の前から消えた。一体何があったのだろうか。慎重な謙次郎をそのような環境に置くからには、余程の引力があったのだろう。
 高島先生は、由美子の方に視線を向けると、
「由美子君、ここ二週間か三週間の内に、お父さんに何か変化はなかったかね。たとえば、手紙が来たとか。電話での連絡。その他、携帯とか、パソコンのメールとか。何かあったはずなのだが」
 ようは、今回の謙次郎の行動を誘った連絡先があるはずだ。当然、それを受けての動きだ。とすれば、それを受けた後、謙次郎に変化があった筈なのだ。
 由美子は、言われみて気がついた。食欲が落ちて、二週間で三キロほど痩せたと言っていた。父親にしては珍しいことだ。結構、健康にも気を遣っている。その父親の変化。それに、いつもの明るさも失せていた様な気がした。
「先生、そう言えば、一ヶ月前に、JTBのヨーロッパツアーから帰って来たのですが、その時は別に何にも感じませんでしたが、ここのところ、確かに元気がありませんでした。急に塞ぎ込む事もありましたし、書斎に入って何か考え事をしていました。私は、どうしたのだろうと、ちょっと心配をしましたが、母は、全然、気にもしていませんでした。手紙、電話の件は調べてみないと判りません。携帯電話は持っていますが、母と同様で、殆ど使っていないと思います。パソコンは、先生と同じで、手を触れたことがないと思います」
「そうですか。いつもと違った様子があったのですね。と言うことは、謙次郎さんがそうなるような情報が提供されたと言うことになりますね。身体の方は、この前の診察・検査で問題はありませんでしたから、何か、心を動揺させるものがあったとしか、考えられませんね」
「先生、それって、何なのでしょうか?」 
「判りません。何らかの情報が健次郎さんに届いたのでしょう。それは、謙次郎さんにとっては、心穏やかざるものであったに違いない。だから、由美子君にもわかる位に塞ぎ込んだ。そして、そのままに出来なくなって、あるいは、逼迫した事態が生じて、仙台へ行くと言って出て行った」
「あの父に私達の知らない事があったのでしょうか?」
 由美子の顔は白さを増し、不安気な目尻線が強調されて、一気に疲れたような表情を見せた。
「事件なのですかね?」
 清澄警部が訊くと、先生は、
「かも知れませんね。もしかしたら、警部の事件との係わり合いが臭いますね」
 清澄警部は、高島先生に、根津神社での殺人事件を、同じように、こと細かく説明していた。今日は、患者ではなく、事件の概略を説明して、解決の糸口発見したいと思って来たのである。今までもそうであったが、先生のサゼッションから、いくつかの事件を解決してきた。今回は、事件が起きたばかりだが、迷宮入りにはしたくない。被害者の身許は判明していないし、と言って、それ以外の手懸りも少ない。京都での、長谷川と城之崎の捜査では、直接、被害者の身許を明かすような証拠はなかったが、男と女の二人が、ウコンと書かれた領収書に関係していることがわかった。女は、可なりの美貌だったらしい。女優で言うと、若い頃の三田佳子だそうだ。どうも、奇麗な標準語を使っているのを聞くと、関東、それも東京の女らしい。男については、そんなに印象はなかったが、女とは、そんなに親しい関係には見えなかったとのことだ。
「清澄警部、由美子君の話を聞いて、どう思うかね。君たちの事件と結びつくところはあるかね」
 清澄は、自分たちの情報を整理した上で、由美子の話を聞いていて、特に気になるようなところはなかった。
「先生、気になったところはありましたか?」
「いやぁ、あったね。一つ、気になるところがあります」
「先生、それって何ですか?」
 清澄警部は、先生の頭の回転力に期待した。いつもそうなのだが、言われて見ると、なるほどと思うのだが、事件の最中にいると視野が狭くなってしまう。今回は、先生の患者さんのお父さんが、出張と言いながら、連絡が取れなくなっている。理由なく、姿を消しているのだ。一方は、殺人事件。どこかに共通点があったのだろうか。この二つの事件が結びつくかどうかは判らないが、先生は、その何かに気がついたのだ。
「先生、それって、何ですか?」
 由美子は、父親が当事者だけに気になって仕方がない。それに、殺人事件の捜査上に現れた、京都での話し。どこかで関係があるのか。
 高島先生は、ポロシャツの袖を巻き上げた。白い二の腕の血管が浮かび上がる。話し方は、ひょうきんで人を引き付けるが、腕を見る限り、繊細な感じがする。
「警部も由美君も、しっかり聞いていてください。良いですね」
 二人は、何が起こるのだろうか。その一点に的を絞って肯いた。それを見て、先生は話し出した。
「一つは、由美君の弟さん、秀樹さんの金沢でのお父さんの目撃です。もう一つは、清澄警部の部下の、刑事さんの発言です。この二つに共通点があるのです。
「えっ、その二つにありますかね?」
「先生、あるのですか?」
 由美子も、清澄警部に続いて訊いた。
 先生は、二人が、気が付かない事を見て余裕の表情を見せた。
「いいですか。秀樹君は、金沢のホテルでお父さんらしき男と、もう一人の女性を見ています。そんなに親しいようには見えなかった。そう、言っていましたよね」
「ええ、確かにそうです。不倫関係にあるとは、とても見えないとのことでした」
「そうですよね。それで、いいのです。由美君、その後、秀樹君は、その女性の事をなんて言っていました?」
 先生は、全てを自分で話すのではなく、二人に問いかける心算らしい。清澄は、看護師さんに、コーヒーの追加をすると、由美君の説明を待った。
「その後ですか、私が、その女性はどんな感じの人と尋ねたら、女優で言えば、若い頃の佐久間良子みたいな女。そう、言っていました」
「そこですよ。そこにポイントがあるのです」
「先生、どういうことですか。私には、まだ、わかりません」
「これから、それが、判ります。次に、清澄警部、京都の喫茶店『左京』での出来事です。領収書の件ですね」
 先生は、今度は、清澄警部に矛先を振った。清澄警部は、年甲斐もなく少し緊張している。深呼吸をして、先生の言葉を待った。
「警部の部下の刑事が喫茶店の女将から聞いた話を思い出してください。そこに、ヒントがあります」
 清澄警部は、帰京した二人の刑事からの話は、つい先ほど、高島先生にしたのだ。それを、思いだしながら、
「喫茶店、『左京』にも、男と女の二人がいましたね。女将の話だと、どこか余所余所しい感じがした、と言っています」
「それで?」
「女の人は、ハッとするぐらいの美人で、女優で言うと、若い頃の三田佳子と、言っていました」
 清澄警部は、そこまで言って、息を飲んだ。気がついたらしい。先生が何を言いたかったのか。やっと、理解したようだ。
「警部。気がついたようですね。そうです。そこに、共通点があるではないですか」
 由美子は、まだ、気がついていないようだ。仕方なく、先生が
「つまり、金沢で秀樹君が偶然見た、お父さんらしき男の相手の女は、かなりの美人だったらしい。女優で言うと、若い頃の佐久間良子に似ている。一方、京都の方は、喫茶店の女将の表現を借りれば、二人連れの女は、やはり、奇麗な女で、女優で言うと、若い頃の三田佳子に似ている。こんな共通の女はいないでしょう。ただ、女優の名前が違うが、女将の年恰好からすると、まず、間違うことはないと思うから、秀樹君のほうが、間違っているかも知れないね。秀樹君の年で、佐久間良子と三田佳子が区別できるとは思えないからね。それに、この二人、活躍した時代はほぼ一緒の時期だから、秀樹君が錯覚しているかも知れない」
 先生は、何事もなかったかのように、ゴクゴクと冷えたコーヒーを一気に飲み込んだ。
「警部、京都の方は、謙次郎さんの写真を送って、その時の男であるかどうか確認をしたらどうですか。それから、領収書の指紋。ウコンの筆跡。これも、調べる必要がありますね。その結果が教える京都の男は、多分、謙次郎さんだと思いますよ。・・・・そうだと、思いますよ」
 先生は、確信するかのように繰り返した
 由美子は、先生からの説明を聞いて唖然とした。秀樹からの、金沢の情報が、警察で調べた京都の情報と合体すると、それが、なんと父親の消息に繋がった。先生の推理は、それを示した。こんな事があるのだろうか。もし、それが本当なら、父に、一体何が起こったのか。由美子は、先生の顔を見つめたまま、瞬きもしなかった。


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