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「映像の逆訴」


〜14〜

 浅茅和歌子は、八階の薮内社長の部屋にいる。『WAKA』導入が一段落したことで、薮内に呼ばれていた。ここ数ヶ月で、社内のムードは一変している。不振の菓子業界を一掃するような、画期的な商品群が発売され、業界は、明匠製菓の一人勝ちになっている。マーケティングのセオリーが色々ある中で、過去の成功体験や失敗体験も重要であるが、それに、囚われていては進歩がない。成功を語り、そして、失敗を語る。そうすることが、経験だと思っている連中は、そのことだけを語るのみで、次のステップの生産性ある形作りには、参加しようとはしない。
 浅茅和歌子は、その古い因習を打ち破った。ものの見事に。長い間、一つの組織の中にいると、その中だけで、物事を考えるようになるが、浅茅和歌子は、それを完全に無視した。経験ある人も入れてチームを組んだ。社内リソースを有効に機能させるためには、そうするしかなかった。
「和歌子君、良かったな。どうもご苦労さんでした。疲れたろう。長い間、緊張のしっぱなしだったから」
「いぇ、社長のご指導を頂きまして、何とか、ここまでやってこられました。この事実を糧にして、多くの社員が次の製品開発に、エネルギーを集中するようになれば、明匠も捨てたものではないと思います。それよりも、社長のご慈悲で、広告宣伝の課長職を担当させていただき、わたくしは、本当に感謝申し上げております」
「何を言っているのかね。それは、和歌子君の努力がそうさせたのだよ。あなたの仕事に対する姿勢は、わが明匠の誰もが認めている。今では、それだけに留まらず、業界や産業界でも注目をしている。あなたは、わが社の宝になっているのだよ」
「社長、止めて下さい。そんな言い方。わたくしは、明匠の社員として当然の事をしているだけです。たまたま、その任に当たることがあっただけなのです。ですから、そんな特別なことではありません」
「あなたのことだから、そう言うのは当然です。だが、こと、『WAKA』に関しては、あなたがいなければ、こうは行かなかった。これは、事実そうなのだよ」
 薮内の言葉には、浅茅和歌子に対する尊敬の念が感じられる。途中入社して四年の間に、社内の殆どの部門を統括して、新製品の開発に邁進してきた、その情熱を思うと頭が下がるのだ。男には出来ない偉業を浅茅和歌子がやってのけた。それには、窺い知れない彼女の努力があったに違いない。
「和歌子君、あなたの父親と私は、高校の同級生だった。勿論、大学も一緒だった。クラブの活動も一緒で、銀座の「式部」のマスター、大岳秀貴も仲間だった。あなたのお父さんは、才能が豊で、和歌を作っている姿勢も凛々しく、《山陽百人一首》の歌人の中では、抜きんでていた。その血をひいている和歌子君も、歌人になる力を持っているのだが、何故か、今では、わが社の宣伝課長だ」
「社長、今では、わたくしは、歌人になる心算はありません。趣味の一つとして、続ける意欲はあります。ですが、父の希望を裏切ることにはなりますが、歌人への道は断ち切っております」
「そうですか。そう、四年前だったかな。大岳があなたを私のところに連れてきた。それまで、浅茅にお嬢さんがいる事は、葬儀の際の写真を見て知っていましたが、まさか、あなたがそうだとは思わなかった。
 その時の、私への衝撃は想像を絶するものだった。一つは、こんなに美しい女が世の中にいるのかと。もし、和歌子君がもっと若かったら、それこそ、チョコレートのタレントに起用していたね。それほど、美しいと思ったのだよ。
 それから、二つ目は、先刻も言ったとおり、歌人として十二分に通用する人が、なぜ、その道を断つ決心をしたのか。その二点が、なんとなく気になったのだよ。
 というのも、あの時の和歌子君は、明匠に入ることに必死になっていた。万が一、あそこで、私が、和歌子君の入社を拒否したら、どうなっただろうと思うと、冷や汗が出てくるよ。それに、あなたは、宣伝の仕事をさせてくれと、強い要望を出しましたね」
「えぇ、そうでした。あの時の社長は、目を白黒させて、なんて、ムチャな事を言う女なのだ。って、顔をしていました」
「そりゃそうだよ。腐ったと言っても、明匠の広告宣伝部は、業界ばかりだけでなく、メーカー宣伝部としては名門だったからね。そこの仕事に携わりたいと言うのは、社内でもゴマンといるからね。
 それも、それぞれのセクションで、それなりの実績を持っている輩がいる中でのことだから、結構、抵抗があった事は確かだ。だが、吉越常務と田尻部長が、和歌子君の事を一片で気に入って、円く収まった訳だ」
「社長は、そう仰いますが、やはり、薮内社長が、それをお決めになったと、わたくしは思っています。勿論、吉越常務と田尻部長には感謝申し挙げております。何れにいたしましても、この件については、薮内社長のお陰と肝に銘じております」
 浅茅和歌子は、全てを見通していたが、ここは、薮内を立てようと決めていた。
 浅茅和歌子に、そこまで言われると、薮内も気分が良くなってきた。薮内本人は、浅茅和歌子の広告宣伝課長には、実は、反対していたのだ。名門の宣伝部を預かる責任者に、例え、学生時代の親友の愛娘であっても、能力は判断付かないし、ましてや、社内のスタッフが納得しないだろうと、思っていた。
 ところが、吉越常務と田尻部長は、浅茅和歌子の広告宣伝課長に賛成をした。それには、さすがの薮内も驚いた。だが、その理由は簡単だった。具体的な中味までは言わなかったが、明匠の将来を決定付ける、新製品企画を用意していたことであった。後で、分かったことなのだが、それが、『WAKA』だった。
 二人は、薮内に言われて、事前に浅茅和歌子に面接していた。どうだろうか、五枚程度の企画書を、すでに用意しており、その概要の説明を受けた時、二人は、浅茅和歌子の入社を決心していた。
 企画は端的で、それでいて、細かいところまで気を遣った内容だった。従来の菓子メーカーにはない、斬新な開発企画だった。二人は、浅茅和歌子から口止めをされていて、その件については、薮内には報告しなかった。だが、二人からの強い推薦が薮内を動かしたことは、確かなことだった。
 それも、今にしてみれば、薮内社長一人の杞憂だった。こうして、新製品『WAKA』の導入成功を見れば、浅茅和歌子の先見性が勝ったことになっている。
「和歌子君、もし、あの時、あなたを宣伝課長にしなかったとしたら、どうする心算だったのかね」
「社長が、そんな事をする筈はないと思っていましたから、考えもいたしませんでした」
「そうかね。相当の自信があったのだね」
「いぇ、そういうわけではありませんが、今日の今を見ますと、本当に皆さんに感謝しております」
「いゃ、あなたの努力には頭が下がりますよ。社員、全員がそう思っているはずです」
「社長、もういいのじゃないですか。この話は、もうこれぐらいで」
「いやいや、ごめんなさい。和歌子君、もう一ついいかね?」
「はい。なんでしょう?」
「あなたが、明匠の宣伝に固執したのは、何か訳があったのですか?」
「どうして、そうお思いになったのですか?」
「大岳は、和歌子君の事を良く知っていたから、余り疑問に感じないかもしれないが、私は、正直言って、大岳に紹介されて、あなたの父親とは同級生だったが、和歌子君と会ったのは初めてだった。
 だから、和歌子君の考え方については、殆ど知らないと言っても良かったわけだ。だが、私から見ると、和歌子君があれほど、わが社の広告宣伝に固執、執着するのには、何か訳があるのではないかと思ったのだよ。和歌子君の力から言えば、製品企画でも経営企画でも十分に力が発揮出きるのに」
「社長、仰せのとおり、製品や経営企画でも、わたくしは、仕事が出来たと思います。ですが、今回の『WAKA』のプロジェクトは、企画主導では、進まないのです。その事は、お判りになりますでしょう。
 なぜならば、全社が動かなければ出来ない案件だったのです。企画の責任者はどなたですか?前田役員ですよ。あの方では、何も先に進みません。失敗することを恐れていますから。
 身体だけが大きいだけで、頭は、考えるのではなく、帽子を被るためにあると、思っている方ですから。そんな方をリーダーにして、このプロジェクトを任せるわけには行きません。それだけのことです」
「和歌子君、それは分かっているよ。それ以外にも、他に理由があったのではないかね。私は、そう思っているのだが」
「別に、ありません。明匠の力を業界の方々に、お知らせしようと思っただけです。社内に、こんなに優秀な方がいるのに、その力を見せないなんて、罪なことですわ。薮内社長、そう思いません?」
「いぁ、その通りだよ。優秀な人材にチャンスを与えることが、我々、経営者の役割だから」
「社長、せめて、三年前にそれに気がついていれば、明匠は、もっと変わっていましたよ」
「和歌子君、それは、私を攻めすぎだよ。私だって、一生懸命仕事をしているのだから」
「バカなことを言わないで下さい。そんなこと、当たり前のことではないですか。社長なのだから。大分前に、某乳業メーカーの社長が、危機管理意識がなく、その時の状況を全く理解しないで、エレベーターに入る際に、テレビカメラの前で、私だって眠っていないと、言って、大顰蹙を受けたことがありましたよね。
社長の口から、一生懸命仕事をしていると、言う言葉が出るようでは、明匠も終わりですよ。それよりも、まだ、ご自分の努力が足らないと、言った方が、社員には励みになりますよ。社員は、見ていますからね」
「和歌子君は、言いにくい事を平気で言うね」
「社長。社長は、明匠製菓の何代目ですか?これは、O&Uの冬来部長にも聞いたことがあるのですが、伝統ある会社は、連綿として事業を受継いで行く。その時の役員に期待される役割は、その受継いだ事業を如何にして、世の中に残していくのか。薮内社長も、明匠製菓の今から、次の時代へのバトンタッチをしなくてはなりません。それを、一生懸命仕事をしているなんて、言い切ることに、何も恥ずかしさを感じないのでしょうか」
「あなたは、O&Uの冬来君とは、良く会っているらしいが、彼なんかの意見は、何て言っているのかね」
「他所の会社にことですから、言いたくはないのですが。O&Uも、過去に囚われ過ぎているのです。冬来さんは、O社ジャパンとU社の子会社が合併して出来たO&Uは、その当時は、業界最大手のU社をはじめ、二番手、三番手の広告代理店にチャレンジして、独自のポジショニングを持てると思っていたが、暗に反して、それから、三十年の年月は、完全にその考え方を捨てさせる時間になっていると言っていました。いずれにしても、そんな簡単には、いかなかったと、いうことです。
 アメリカO社のブランドに対するメッソードや外資流のスキルやテクニックは、現在の、日本の広告ビジネスの中では、通用しなくなっていることに気がついていない社員が、余りにも多すぎる。とも、言っていました。旧い感覚をそのままにして、我執、我流の最中に身を置き、時代の気分や生活者の先取性の態度を、甘く見ている。
 大手と伍するではなく、場合によっては、U社を工場として使うぐらいのクライアントとの関係を作り上げる。つまり、明匠製菓とO&U社の関係を、もっと、他のクライアントにも波及させる。現に、親会社のU社とは競合になっているが、今では、U社の関連部門がO&U-冬来部の明匠チームの作業をしているそうです。それは、私どもにとっては、願ってもないことです。
O&Uを窓口にして、U社のリソースもフルに活かせる事ができるなんて、社長、こんな素晴らしい事はありません。冬来部長が描いている、明匠に対する『イメージと構想』は、U社の蓄えられた資源を活用することによって、スピードとクオリティーが維持できますし、チームのモチベーションも高くなります。
 それから、冬来さんは、明匠に限定した仕事ではそうなっているが、それ以外の新しいビジネスについては、U本社と堂々と戦って、O&U社の優位性をアピールしたいとも、言っていました。いずれにしても、冬来さんは、旧い体質を変えようと、社内をかき回しているそうです。それには、吾迦多社長もタジタジらしいですよ。
 従って、わたくしも、冬来さんに習って、明匠を掻き回したいのです。以前の沈滞したムードは、今回の『WAKA』の発売で一掃されましたが、これからも、そのままで行くとは考えられません。常に、新製品の開発態勢を維持しなければならないのです」
浅茅和歌子は、少し長くなったが、今の思いを薮内社長に、思いっきりの丈を込めて言い放った。薮内はいくらか顔を紅潮させていたが、浅茅和歌子の指摘を受け入れざるを得なかった。それは、もっとも当たり前の事を言っているからである。
 名門、明匠製菓の行く末は、浅茅和歌子の両肩にかかっている。従来の単一カテゴリーの中の製品開発から、ワンブランド、マルチ製品の開発体勢に変換したことが、コミュニケーションの効率化にも繋がっている。そこを見出したことが、明匠を発展させる原動力になっている。
 薮内は、明匠の将来を浅茅和歌子に賭けざるを得ない。彼女の構想力は、今の明匠の社員にはない。それだけではない。部下を育てる力も群を抜いている。得意先との交渉力にも抜かりはない。全てに関して、完璧な仕事をしている。
「O&Uも大変なのだね。社員が同じベクトルに向かっていればいいのだが、必ずしも、そうではないのだね」
「何処の会社にも悩みはありますが、業績が良い間は目立ない欠点も、一度、下り坂になると、途端に目立つようになるのですね。これも、世の習いです」
「わが社は、和歌子君のお陰で、危機を迎えずに済んでいる。本当に、あなたには、感謝をしているよ」
「社長。また、それを言う。いい加減にしてください。それよりも、ちょうどいい機会ですので、お願いがあります」
「なんだね。あらたまって?」
 薮内は、興味深そうに浅茅和歌子を見ると、彼女は、何事もないかのように、社長の傍に寄ってくると、
「社長、休暇を頂きたいのですが。よろしいでしょうか。父と母のお墓参りに行こうと、思っています。『WAKA』の年内の段取りも、ほぼ終わっていますし、後は、志水係長に任せても心配ありませんので」
「勿論、休んで下さい。この二年間は、和歌子君は走りぱなしだったからね。それに、殆ど、休んでいないのだから。この際、いい機会だから、鋭気を養ってください」
「ありがとうございます。両親の墓前に『WAKA』の成功を報告いたしたいのです。苦労して、作り上げたプランの実行が、これほど上手く行くとは考えませんでした。きっと、二人も草葉の陰で喜んでいてくれると、思います」
「あぁ、そうでしょうね。浅茅も奥さんも、喜んでいるでしょう。ところで、和歌子君。悲しい事を聞いて申し訳ないが、浅茅ご夫妻が亡くなって、もう、どれぐらいになるかね。」
 浅茅和歌子は、薮内の声に誘われて顔を向けた。以前であれば、両親の事を聞かれると、直ぐに悲しさが襲ってくるが、今では、それもなくなった。時の流れが悲しみを彼方に追いやってくれたし、浅茅和歌子自身の心の整理が出来たことと、目的を持って前に進む決心をしたことが、余裕を生むことになった。
「あと三日で、二十五年になります。早いものですね。あの時は、大岳のおじ様、それに、和歌仲間の皆さんに、残された、わたくし一人のために、いろいろお世話をしていただいたこと、今でも忘れる事はできません」
「私は、社用があって、どうしても抜けられず、出席出来なかったが、後で、聞いたら、なんとも悲しく、寂しい葬儀だったらしいね。和歌子君のあの時の姿を思い浮べると、涙、涙で、居たたまれなかった。幾つだったのかな。和歌子君は」
「十六歳です。高校の二年生でした」
「二年生だったか。そうか。私は、大岳に送ってもらった写真で見た、和歌子君の制服姿を覚えているよ。あなたは、悲しみに耐えていたね。父親を失うと、ほぼ同時にお母さんをも失いましたね。時を待たずに悲しみが二重に襲ってきた。高校生の和歌子君には、実に、酷な時間だった。だが、あなたは、葬儀後、一ヶ月もしないうちに、忽然と姿を消してしまった。大岳だけには行き先を告げていたらしいが。父親の仲間の我々としても、随分心配をしたよ」
「そうでした。もう、二十五年も前になるのですね。社長をはじめ、皆々様には、本当にお世話になりました。特に、薮内社長には、あれ以来二十年が過ぎてから、大岳のおじ様からのお願いを聞いていただき、わたくしを採用した上に、広告部宣伝部に配属されました。本当に、感謝しております」
「いゃ、女性ながら、浅茅の血をひいているのか、正義感に溢れ、あなたを見ていると、浅茅の顔が浮かんでくるよ」
 浅茅和歌子は、二十五年前を思い出そうとしたが、それは、両親の墓前ですることにした。今ここで、薮内社長と感傷に耽っても仕方がない。休暇の許可さえ下りれば目的は達成した。『WAKA』の年内の仕事は、Mブックセンターで、『小倉百人一首展』の協賛だけが残っている。細かい作業は、志水係長とO&UのSP局、インターネット局が進行してくれる。だから、安心して休暇をとることが出来る。働きすぎた自分を癒し慰めるためにも、いい機会だ。
「それでは、社長、この辺りで失礼いたします。ゆっくりと休ませていただきます。お忙しい時間をありがとうございました」
 そう言って、ソファから立ち上がると、身を正して軽く会釈をした。薮内もタバコを手に持ち、満足そうに笑みを返した。薮内もタバコを手に持ち、満足そうに笑みを返した。


 冬来は、会議室にいた。年末に開催される、明匠製菓が協賛する『WAKA発売記念-小倉百人一首展』」の準備打ち合わせ会に参加するためだ。明匠チームの内のSP局と、インターネット局が中心になって進行される。勿論、営業部員も立ち会っている。
 小倉百人一首の監修者である、藤原定家が、十の勅撰和歌集など、歌集の中から、いかなる基準で選択したのか。『かるた遊び』の歴史や現在の競技かるた、坊主めくりなどの紹介。作家百人の人物交流、たとえば、親子やカップル、ライバルや藤原一族。実際に、和歌が詠まれた名所・名跡。さらに、作者の個人日記などの作品集が展示されるのだ。この展示会を見れば、小倉百人一首の世界が、一望できることになる。
「おい、橋爪君、準備は進んでいるのかね」
「はい。任せてください。全てが順調です」
「浅茅課長は、休暇を取るという事だから、頼むよ」
「それは聞いています。後の事は、志水係長に報告をするように言われています。状況を説明いたしますか?」
「いゃ、いいよ。でも、簡単に説明してもらおうか」
 冬来は、一度は断っておきながら、心配なのか、イベント概要の説明を橋爪に促した。
「分かりました」
 橋爪は、そう言って、Mブックセンター四階のイベントスペースの図面を、関係者の前に拡げた。エレベーターホールを出てからエントランスまでのパースに、会場内のコーナーそれぞれの展示内容が事細かに記されている。
 百人の肖像絵に和歌を添え、現代語訳にしたものや、百人一首に纏わる情報を、あらゆる角度から分析して、展示することになっている。勿論、新製品の『WAKA』に関する紹介もされることになっている。
「冬来部長、天智天皇から順徳院までの約六百年間の代表的な歌人の秀歌を年代順に、しかも、古今集や新古今集などの勅撰和歌集から定家が選んだものを一同に展示いたします。百人一首の特徴は、恋歌が四十三首。女性歌人は二十一人。喜撰法師などの僧侶は十五人。いずれも、定家のセンスで選ばれています。
 競技かるたについては、組織がしっかり出来ておりまして、全日本かるた協会がルールを決めて、競技者は一対一で行われることになっています。取札二十五枚をお互いに三段ずつ並べます。相手のカードを十五分間で暗記して、さきに半数二十五枚を取った方が勝ちになります。競技かるた人口を増やすためにも、ここは、強調したいと考えております。
 たとえば、一字決まりの和歌は七首。その他に、二字から六字決まりまでありますので、それらを全部紹介することで、競技かるたに挑戦してもらえればと、思います。それから、坊主めくりも絵札遊びですので、子供たちに、百人一首に興味を持ってもらいたいので、実演をすることにしています。お正月も間近に迫っていますから、ちょうど、いい機会だと思います。
 さらに、百人の人物交流図を展示いたします。例えば、親子の和歌がありますが、その数は、なんと十二組に及んでいます。それらも、併せて紹介しています。加えて、和歌が歌われた地名ですが、当然のこととして、京都や奈良が圧倒的に多いのですが、大宰府や静岡、宮城、岩手、隠岐、佐渡でも歌われていますので、これを、紹介するのも面白いと考えております。
 最後になりますが、歌人が作者になっている、作品を並べます。具体的には、伊勢物語、土佐日記、和泉式部日記。源氏物語、紫式部日記、栄華物語、そして、枕草子。これだけ展示すれば、内容的には満足がいくものになると、確信しております」
「いゃ、凄く充実した内容だね。驚いたよ。これだったら、明匠さんも喜ぶだろうし、来られるお客さんも大満足だろう。いいね〜」
「ありがとうございます。後は、国立のT大学や、私立のG大学、国立O女子大の国文学の教授に交代で、講演会やセミナーをお願いすることになっています」
 冬来は、橋爪から、展示内容を聞いて安心した。盛りだくさんではあるが、コーナーコーナーがよく整理されている。観客が余裕を持って見ることが出来る。古の王朝文化の一端にでも触れてもらえれば。『WAKA』の心を知ってもらえる。
「橋爪君、『WAKA』の商品コンセプト(和歌の歌心)にも合っているし、雅の世界を皆さんが楽しまれることが何よりだね」
「えぇ、そう思います。そして、自らが、三十一文字の世界を、ご自分の掌に書き留めることが出来れば、『WAKA』がめざすものが完成されます」
「その通りだ。ただ、食するだけでなく、生活の中にゆとりを持っていただければ、それに越した事はない。と言うよりも、身近に自分を表現する、手段・方法を身につけることが重要なのだよ。老若男女問わず」
「冬来部長、それから、『WAKA』の広告なのですが。新聞・雑誌・TV・交通広告など、今までの作品を展示いたします」
「それも、いいじゃないか。折角、いい広告が出来ているのだから、改めて、来場者にご覧に入れよう。グッド・アイディアだよ。橋爪君」
「冬来部長なら、きっと、そう言うと思いましたよ。これは、まだ、浅茅課長には言っておりませんが、志水係長には、あらためて、報告をしておきます」
「そうだな。早めに、言っておいたほうがいいね」
 冬来は、橋爪の説明を聞いて安心した。思わず笑みがこぼれて来る感じだ。自信はあったが、こんなに順調に行くとは思わなかった。全ての展開がポジティブに進んだ。メディアミックスから販促の活動、PRまでが有機的に連動した。
 『WAKA』新発売の年内最後のイベントも、これでスタートできる。キャンペーンの締め括りとしては、最適な催事になることは間違いない。将来を見通した時に、『WAKA』の、社会や家庭生活の場でのポジショニングを考慮した場合、日常の中で普通のセンスで『WAKA』との共有を、意識できるかどうかが、大事なポイントになっていた。
 振り返って見て、作業的には、ポイントアウトするところは多々あるが、こうして、『WAKA』}の導入が成功したのも、生活者からの支持があったからだ。冬来のチームにしても、社内外の助けを借りて、久し振りに充実感溢れる仕事をさせて貰った。ここ数ヶ月間続いた徹夜の辛さが、そのままストレートに辛いとは思わなかった。時間をかければかけるほど、成果を期待する指数が上がって来る。チーム全員が目標に向かって作業を進める。その結果は、生活者の商品購入という形で表現される。それが楽しみで徹夜でも何でも、意に介さないで仕事が出来た。それこそ、アドマン冥利というものだ。こういう経験の積み重ねが、チームの提案力や実施力を高める。
 白木も十月一日付けで部長に昇格した。冬来の推薦が効を奏した。取敢えずは、今までの冬来部は、冬来部、白木部の二部長態勢に代わった。これからは、白木が冬来に代わって、明匠製菓の担当部長として指揮を執るのだ。白木流のイメージと構想を持って、次代の明匠製菓のコミュニケーション&プロモーションを担うようになる。
 そうなると、冬来部長は何をするのか?
 O&Uの営業成績は、『WAKA』のお陰で、明匠の扱い数字は大きく伸びたが、それ以外のクライアントは、殆どが伸び悩んでいる。X化粧品会社の扱いは、他の代理店に移ったし、新規のクライアントも取れていなかった。
 冬来は、そういう状況を打破するために、現場第一主義を貫き、自らが志願して新規開拓チームをスタートさせることにした。吾迦多社長以下の役員や執行役員は、まるで、そんな気がない。新しいクライアントは、現場の社員が取ってくるものだと思っている。それじゃ、彼等役員は何をしているのか。社内を闊歩し、新入社員や女子社員の傍に行っては、迷惑なのを顧みずに、ただ、駄弁っているだけだ。
 本来であるならば、役員、執行役員が新規チームを率いて、営業活動をしなければならないのに、まるで孵化器の状態だ。卵を抱えたまま動こうとはしない。つまり、自分の部屋からは出ないし、会社からも出ないと言うことだ。これでは、新規開拓など出来る筈がない。役員や執行役員がそんな調子だから、社員のモラルが上がらないのも、圧して導しだ。
 だからこそ、冬来は、そんな状況と雰囲気を変えようと、自らが立ち上がったのだ。明匠製菓を攻めた時と同じように、社内の各セクションから、自分なりに優秀と思われるスタッフを集めた。今日は、そのリストを持って、吾迦多社長と直談判をする予定にしていた。
 冬来は、イベント内容を理解した上で、後は、白木部長、橋爪に任せて会議室を出た。社長室に向かう間、どういう風にして亜迦多社長を説得するか、考えを巡らした。冬来が、最も嫌っている社長の御小姓集団は、自分たちの立場を守るために、経費節減を理由に、余計な事をさせないようにしようとしている。交通費や会議費、それに、交際費については、既に絞りきっている。それらは乾いた雑巾状態にある。もう、これ以上、絞りきれないと、いう事で、広告代理店の武器である、既存クライアントの拡大や新規クライアントの開発に重要な、開発費までに手をつけようとしているのだ。
 鈍すれば貧する。会社の状況が悪くなっている中で、冗費を節約するのは当然のことである。しかし、経費節減の意味性が曖昧になって、社員のモラルやモチベーションを損なうとしたら、これは、重大な問題である。なぜなら、誰よりも、社員が一番分かっているからである。縮小も受け入れよう。我慢もしよう。それで、既存のクライアントの信頼を、引き続き得られるのであれば、与えられたリソースの中で、知恵の結集を図ることによって、より良い提案や作業を提供したいと、殆どの社員が思っている。
 広告代理店の新規開拓は、既存代理店との競合コンペをすることになる。新しいセンスと企画、サービスも従来の取引あった代理店とは、明らかに差別化が出来るものを提案しなければならない。広告予算が大きければ、提案の内容も多岐に渡るため、外部の協力業者の応援も受けるようになる。従って、その分費用がかかって来る。千五百万円を超える場合もあるのだ。それでいて勝てれば良いが、必ずしも、そうなるとは限らない場合もある。となると、その金額は持ち出しと言うことになる。場合によっては、クライアント側からプレゼン費の一部が支給される時もあるが、それは、まれである。
 社長の御小姓集団は、そのプレゼンにかかる費用を極力抑えようとしているのだ。いゃ、抑えると言うよりも使わせないようにしている。社員に対する人件費を極力抑えるために、残業をするな。という声も聞こえてくる。全てが、縮小再生産ではなく、縮小非生産になっている。これでは、言うまでもなく、社員のモラルが下がるのは当たり前だ。
 冬来は、自分のところに来ている社内の状況を整理して、新規開拓チームの立ち上げを含めて、吾迦多社長との直談判に臨むつもりでいた。今までも、月に三人から五人程度の社員が辞めている。御小姓集団は。諸手をあげて喜んでいる。人件費が減る事になるからだ。アホな幹部がいると、最悪である。辞めていった人間は、O&U社について、良く言うはずがない。それが、回りまわって、既存クライアントや新規クライアントに伝わる。コミュニケーションの専門集団が、自分たちの首を絞めているのだ。それに気がつかない社長も社長だが、何よりも、御小姓集団の存在が、会社のガンになっているのだ。
 冬来は、社長室の前に立つと。秘書の飛田さんが飛んできた。
「冬来部長、ご苦労様です。社長がお待ちです」
「少し、遅れてすいません」
「いいのよ。部長の後は、何もスケジュールは入っていませんから。安心して。それよりも、御小姓集団の米沢さんが先刻までいましたよ」
「御調子屋-御小姓集団、太鼓持ちの米沢がいたのですか。何でまた。得意のゴマすりですか」
 冬来は、あきれた顔を見せて、飛田さんにウインクをして社長室に入って行った。ドアを開けると、吾迦多社長のつるつる頭が眼に飛び込んできた。明匠以外のクライアントの状況が余りよくないせいか、心なしか浮かない表情を送ってきた。いつもの喧嘩を売るような雰囲気がなかった。珍しいこともあるものだと、思いながら、ソファの前に進むと、指先を下に向けて座るように合図をしてきた。
 冬来は、一礼をして三人がけのソファに越を下ろした。それを見届けると、吾迦多も傍にやってきた。タバコをぎこちなさそうに口にすると、ドカッテいう感じで、対面の一人がけの椅子が二脚並んでいる、左側のソファに座った。冬来にすると、自分の目の前にして見ても、吾迦多にはいつもの元気さがない。どうしたのか?
 冬来は、それとなく聞いてみた。
「社長、何かあったのですか?」
 吾迦多は、冬来の声に誘われて一呼吸を置いた。何時になく緊張している。いつもの吾迦多なら、多少のことがあっても、右往左往する事はない。だが、今日は別だった。落ち着きがない。何があったのだろうか?
 吾迦多は、冬来の熱い視線を感じながらも、出来るだけ平静を装うとしている。広告業の経験を三十七年間続けてきたが、ここ二,三年みたいな事はなかった。特に、この一年間の逆風は、想像を絶していた。
 冬来は、吾迦多の態度が気になったが、自分からは聞こうとはしなかった。あまりにも重い内容のような気がしたからである。吾迦多は、冬来に話そうかどうか逡巡しているように見える。小さいとは言え、O&Uも会社である。そこのトップが、一部長に自分の悩みを言うわけにはいかない。会社の正式ルートである役員会に、まず、報告をしなければならない。それで、米沢執行役員を呼んだのだ。
 冬来は、意を決して、吾迦多に聞いてみた。
「社長、何があったのですか?」
「どうしただね?」
「どうしてって、辛いことがあったような顔をしているじゃないですか」
「そうかね。そんな顔をしていたかね」
「何を言っているのですか。ご自分が一番分かっている癖に」
「そうだな。そのとおりだよ」
 吾迦多は、完全に意気消沈している。こんな表情を見せるのは珍しいことだ。よほどのことがあったに違いない。
「冬来君、わが社は、どうしたら良いと思うかね」
「どうしたのですか、急に」
「いゃ、来年からDゴルフメーカーは、本社で扱うことになった。今日、先方の設楽社長に呼ばれて、引導を渡された。十億円の数字が来年からなくなるのだよ。折角、君のところで頑張っているのに、他がこの状況では、どうしようもないな」
「何ですって?Dゴルフメーカーって、言えば、わが社の古い得意先ではないですか。それが、どうして、そうなったのですか?」
「本社も全社員に対して、新規開拓の方針がだされているのだよ」
「そんなことは、当然のことではないですか。あれだけの図体になれば、新しいことにチャレンジして、広告リソースの開発に躍起になるか、新規のクライアントの開発に邁進するかの、二通りしかないでしょう。何故って、彼らの既存クライアントの数字は、既に、限界に近いところまで来ていますからね」
「だからと言って、何も、わが社のクライアントを狙うことはないだろう」
「何を、甘い事を言っているのですか。以前、本社の営業担当の村中専務にお会いした時に、こう言っていましたよ。
(冬来君、U社のグループは、その中でお互い、競合の仕事をしている。例え、関連会社、子会社だからと言って、本社の営業マンやスタッフは遠慮をしない。クライアントが良いと言えば、提案力あるほうが、そのクラインとの仕事をさせてもらえば良いのだ。
 われわれ、本社も甘えないが、君達、関連会社の社員も、堂々と、本社と戦って欲しいのだよ。現に、冬来君、君が我々と闘って、見事に明匠製菓さんの仕事を担当しているじゃないか。私は、内の明匠担当の営業局長や部長に、諦めないで、明匠さんを攻めろと、発破をかけているのだよ。中々、難しいがね。君が、いるからな。
 でもな、冬来君、あいつらは、君に負けた時には、本当に悔しがったのだよ。その気持ちは、私も一線で営業をして来たから、良く分かる。次の機会に、冬来君たちに負けない提案をしなければ、また、同じ境遇に甘んじることになる。
 だが、U社のグループは甘える事はなく、お互いに切磋琢磨して、クライアントのために、より良い提案をし続けなければいけない。それは、宿命なのだよ。これから先も)
 社長、村中専務の言うとおりでしょう。わが社の連中は、本当に甘えていると思いますよ。何とか、本社と話をつけて、本社で出来ない、あるいは、持て余しているクライアントをO&Uに移管して、それを、O&Uで担当して行く。そんな事を、本社の営業担当者が認めるはずがないじゃないですか。
 彼らだって、成果主義の真っ只中にあるのですよ。自分が通い、足跡を残してきたクライアントを、上から言われたからって、はい、そうですか。それじゃ、O&Uで担当してもらいます。なんて、そんな簡単にはいきませんよ。そうでしょう」
 吾迦多は、冬来の話を聞いて自分が恥ずかしくなってきた。ここまで数字が悪くなってくると、自分の過去の財産だけでは、新しいクライアントの開発は出来なくなっている。結構あった引き出しも使い切った。それだったら、本社に頼んで、幾つかのクライアントを回してもらう。そう考えていたのだ。
 だが、冬来の言うとおりだ。本社に甘えていい訳がない。彼らも、真剣に伝統を守りつつ、新しい提案をすることに神経を使っている。それに較べると、O&Uはどうだろうか。本当に真剣にやっているのだろうか。自分がやらなくても、誰かがやってくれると思っている輩があっちこっちにいるのだ。上からしてそうなのだから、社員が、そう思っても仕方がなかった。
 吾迦多は、ソファから動こうとはしなかった。下を向いたままで、冬来の話を聞いていた。内容は、冬来の言うとおりだ。たとえ、本社との関係があっても甘える事は出来ない。最終的には、クライアントが代理店を決めるのだ。今回のDゴルフメーカーの件でも、その気があるのなら、最初から本社は断っているはずだ。ところが、そうはしない。やはり、クライアントがそうする事を望んでいるから、そうなったのだ。
 吾迦多は、O&U社そのものの、仕事や作業の進め方をチェックして、原因の究明を図らなければ、また、同じようなことが続いて起きると、考え始めた。それにしても、今になって、それに気がついても遅かった。せめて、三年前に気がついていれば、手の打ち様があったはずなのに。所詮、他人事と思っていた罰が表出したのだ。
「社長、今さら、どうしようと言うのですか?この間の化粧品会社、そして、この度のDゴルフ。全てが、我々のクリエイティブとサービスが悪いからでしょう。一言で言えば、アイディアがなかったのでしょう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ここは、わが社にとっても正念場ですね。明匠さんを見てください。浅茅課長を中心にしたプロジェクトが、見事な仕事をしたではないですか。そのお陰で、わが社も、大変大きな数字を頂いています。そのことについては、社長も承知していますよね」
「あぁ、勿論さ。今年のわが社の救世主だよ。いゃ、違う、救世社だ」
「そうですよね。そこでですが、我々が、明匠さんの扱いを獲得したのと同じ方法で、新規開発を進めようと思うのですが」
「新規チームを?」
「そうです。これが、そのメンバーです」
 吾迦多は、冬来からメンバーリストを受け取ると、視線を紙の上に落とした。それを見ると、下は、今年入社した社員から、定年を間近にした社員まで、豊富な人材が揃っていた。
「社長、そのリストを見て、全ての顔が浮かびますか。たかだか、二百四十五人しかいない社員ですが」
「・・・・・・・・・・。六人しか知らないな」
「何でですか。全部で十三人ですよ。社長がそんな調子だから、クライアントが逃げていくのですよ。本当に信じられませんね」
「冬来君、そうは言ったって、全員と会うわけにはいかないのだから」
「何を言っているのですか。いいですか。先日も、この会社に入社して十一年経た女性社員が、言っていましたよ。
(私は、O&U社に入って十一年になります。その間、四人の社長に巡りあいました。別に、仕えている訳ではないのですが、私に、声をかけた社長は いませんし、ましてや、この会社の発展系を創出するような施策を、見たことも聞いたこともありません)
 そうらしいですよ。先ほども申し上げましたが、たかだか、二百四十五人の社員を知らないことは、許されるのですかね。仮に、内輪の社員でそうだったら、外部の、得意先の社員さんのことも、おそらく知らないでしょう」
「そんな事はないよ。主だった企業の幹部は良く知っているよ」
「主だった企業の幹部?冗談は止めて下さいよ。社長、それは、O&U社の得意先の幹部ではなくて、社長が本社にいた時の得意先の幹部でしょう。そんなことは、わが社にとっては、何の意味もないじゃないですか。それは、社長のマスターベーションでしかないですね。そのことが、この厳しい状況にあるO&U社に、どんな影響を与えてくれるのですか」
 またまた、冬来は、吾迦多を攻める羽目になってしまった。今日は、穏やかに社長の言い分も聞いてあげて、精神安定剤的な役割を果たそうかと思ったが、ことの経緯で、厳しい言い方をするようになった。
「大体ですね、社長は、社員の事を分かっていませんよ。仲良しクラブと御小姓集団に囲まれ、その範疇からのオベッカと、ゴマすり音頭に踊らされて、現場の社員の気持ちなど、全然、理解していないと思いますよ」
「・・・・・・・・・・・。冬来君、君は、そんな風に私の事を見ているのかね」
「えぇ、見ていますよ。何か、不都合でもありますか?」
 ここまできたら、仕方がない。この際だから、思っている事を言ってしまえ、と思った。
「じゃ、聞くが、君だったらどうするのかね?」
「何を、今さら言っているのですか。新規開拓しかないのですよ。それ以外に、他に方法がありますか。ある筈がないじゃないですか。だからこそ、明匠製菓は、白木部長にお願いし、私は、全てのリソースの集約を図り、大手の代理店の及ばない分野を集中的に攻めたいと、思っているのです。これに代わる案があるのならば、教えて欲しいいですね。管理部門で、社長の腰巾着の米沢執行役員が、新規開拓費のセービングを発表したらしいですが、そんなの糞喰らえですね。これ以上、社員のモラルを下げ続けてどうするのですか。いい加減にして欲しいですね」
「何も、そこまで言う事はないだろう」
「社長、何を言っているのですか。本社では、新規開拓本部の成功を受けて、全ての、営業本部に新規開拓チームを設置したらしいじゃないですか。各クライアントにおけるシェアの深度は、そこそこまでに来ていることには、とっくに気がついているのですよ。とすれば、従来からの取引のない分野を攻略しようとするのは、極当たり前のことですよ。それを、自然に実行しようとしているだけですね」
「本社も、とうとう、その体制をとったか」
「社長、良いですね。この十三人が新規開拓チームのメンバーとしてアサインされましたから」
「分かった。よろしく頼むよ」
「このチームの責任者は、社長ですよ。良いですね」
「冬来君、それは、ちょっと待ってくれないか。出来たら、田取締役が良いと思うのだが。駄目かね」
「何を言うのですか。これは、社長が責任者をやらなければいけません。私たちをサポートしていただきたいのです。この事は、チーム全員の総意です。よろしくお願いいたします」
「君は、いつも思うが、強引だな。だが、冬来君の会社を愛すことには、誰にも負けない意志がある事を認めるよ。こうなったら、私も、腹を括るよ。共に頑張るか。冬来君」
「社長、ありがとうございます。チーム全員にその言葉を伝えますよ」
「いゃ、新規開拓チームの発足式には、私も出させてもらうよ。そして、皆を激励することにしよう」
 吾迦多は、少し元気になったようだ。過去を振り返っても、その過去が現実になる事はない。それよりも、将来に向かって、新しい提案を、アイディアを創出する姿勢が問われているのだ。そのことに、エネルギーを出し切ることが出来るのか。
 吾迦多と冬来の二人の顔に安堵の表情が浮かんだ。一瞬、安心したようであったが、冬来は、まだ、終わっていなかった。
「社長、もう一ついいですか」
「なんだ、まだ、何かあるのかね」
「なんだ、は、ないでしょう。これも、社長に聞いていただきたいのです。大事なことですよ」
「早く、言いたまえ」
 吾迦多は、気になるのか、冬来に先を促した。
「わが社の下支えは、現場の社員なのです。その彼等が、社長が何を考え、会社の行く末をどうしようとしているのか、もし、それを知らないとしたら、こんな悲しい事はないでしょう。そう思いませんか。そこで、社長と社員の懇談会を開催して欲しいのです。直に、社員の声をまともに受けて、彼らの言い分を聞いて下さい。そして、彼らのモヤモヤ感を発散して欲しいのです」
「そんな事は、簡単だよ。早速でも、やろうじゃないか」
「ちょっと、待ってください。実施する事は簡単なのですが、そこには条件があるのです」
「条件?何だね、その条件って?そんなに難しいことなのかね」
「そんな、難しいことではないですよ。いずれにしても、社長しだいですがね」
「言って見なさい。簡単なことなら、私が、それを請け負うよ」
「そうですか。是非、そうして頂きたいので、言わせて貰います。幹部社員を除くと、対象は百二十人ぐらいになりますかね。それだけの人数ですから、何回かに分けなければなりませんが、その際、社長一人が社員との懇談会を受けていただきたいのです」
「どういうことかね」
「そこには、田取締役や米沢執行役員、水川執行役員、万年執行役員を入れないで、社長一人で、直接、社員の言葉を聞いてもらいたいのです」
「何故かね?」
「社長以外の役員や執行役員がいると、社員の言動が制約されてしまうからです。会社のこの状況を打ち破るには、社員の皆が、取締役や執行役員をどう思っているのかも、聞く必要があるからです。もし、社長との懇談会に彼等役員連中がいれば、結局は、話の内容もオブラートに包んだような内容になり、懇談会の意味合いが薄れて、別に、やる必要がなかった、いうことに、なりかねません。ようは、社長の考え方を示すだけでなく、社員が現状をどう見ているのかを、肌で感じられれば、新しい息吹が湧き上がってくるからです」
「そうか。今までは、確かに何かあると、必ず、全役員が出ていたな。そうすると、社員の皆さんが言いたい事を言えなくなる。なるほど、今回は、冬来君の言うとおりにしてみようではないかね。早速、米沢君に言っておくよ」
「社長、御小姓集団のナンバー2の米沢さんに言っては駄目ですよ。彼は、社員が自分の事をどう思っているのか、一番気にする輩ですから、そんな話を社長がすれば、きっと、自分が参加できないことが分かると、御小姓集団ナンバー1の田取締役と組んで、この懇談会を潰しにかかりますよ」
「言われてみれば、そうだな。彼らは、社員と会う時はいつも、私の事を一人にしないように動いていたな。冬来君、君は鋭いね」
「鋭い?バカなことを言わないで下さい。社員の気持ちを何処まで考えられるか、です」
「そうだな。そのとおりだよ。だが、冬来君、御小姓集団のナンバー1が田君で、ナンバー2が米沢君なのかね」
「そうですよ。社員の観察眼は、それこそ、鋭いですからね。私も、そう思っていますよ」
「冬来君、私だって、そのとおりだと思っているよ。彼らは、それしかないのだよ。それを奪ってしまったら、彼等が依って立つところがなくなってしまう。私も、それを分かっているだけに、間に入って辛い思いをしているのだよ」
「社長は、分かっていたのですか。それは、失礼いたしました」
 冬来は、さすがに社長だ。全てをお見通しだ。そのセンスで社内を見渡せば、もう少し、会社の風通しがよくなるに違いない。御小姓集団からのウイスパーを優しく感じている限り、社長自身にも限界があるのだ。冬来に対しての言葉を、もっと早く社内の幹部に言っていれば、会社の業績も雰囲気も変わっていたに違いない。
 それにしても、彼らは、権利と義務の履行を誤解している。というか、もともと、そのようなセンスが無いにもかかわらず、ポジションを与えられたために、偉くなったのだ、という錯覚にはまってしまった。
 役員や執行役員になる事は、机の前に座し、報告を聞き、肯いていれば言いと思っている。自分自らが、アイディアをクライアントの幹部に、積極的に提案することも無い。マーケティングについても語れない。そんな連中を格上げしたのは、まさに、吾迦多自身の責任なのだ。
 右肩上がりの時は、業績が良いだけに、幹部も含めて社員の欠点を隠すが、右肩下がりになり、業績が下降気味になると、途端に、その欠点が浮き彫りされる。誰がどんな仕事をしてきたのか。クライアントの前で、致命的な、とんでもない発言をしたとか。一事が万事、揚げ足を取るようなことが始まる。
 そうなると、機を見るに敏な御小姓集団や仲良しクラブは、権力を持っている社長に対して、ウイスパー活動を盛んにするようになってくる。今のO&Uは、そういう状態にあるのだ。
「冬来君、良く分かった。私一人で、社員の皆さんと懇談しよう」
「そのとおりですよ。そうして下さい。でも、もう一つ条件があります」
「まだ、あるのかね」
「えぇ。いいですか。社長は社員の前では、辛いかも知れませんが、聞く耳を広げなければいけませんよ。社長一人の独演会ではないのですから。飽くまでも、社員が、現状をどう考えているのか、それを、聞いて欲しいのです。呉々もお願いしますよ」
「そうするよ。だが、冬来君、私も条件があるのだが?」
「条件?なんですか?」
「それは、その懇談会の場に君も参加して欲しいのだが」
「バカなことを言わないで下さい。そんな事をしたら、御小姓集団に発言のチャンスを与えることになりますよ。待っていました、とばかり、攻撃をかけてきますよ。それじゃ、全く意味が無いじゃないですか。何を考えているのですか?」
「そうだな。君が出れば、当然そうなるに違いない。残念ながら、彼らに口実を与えることになる」
「決まっていますよ。ここでは、彼等からの誘惑を断ち切ることです。細かい事は、私から、人事の大杉部長に報告をして置きます。社長発のメールを社員に出すように指示をします。いいですね」
 冬来の強い言葉に、吾迦多は力強く頭を縦に振った。その顔には、先刻の不安そうな気配が消えている。自信を持ったのか、これから先のO&U社を、社員と共に築き上げようとする、気迫が漲っている。
 冬来は、吾迦多が、会社の改革に一歩踏み出したとの感触を得て、安心の表情を見せた。これで、社員の中に、もう一度、O&U社の社員として頑張ってみようとする気概が出てくる。間違いなく、会社は変貌を遂げるとの確信を持った。


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