「映像の逆訴」
〜15〜
再び、高島先生の医務室に清澄、渋江の両警部、それに、由美子が集まってきた。四人が揃うのは二週間振りである。それぞれが、先生から出された課題の解決を図るために、地元に戻り捜査を続けていた。
清澄は、香川県坂出出身の石川県小松市の石本二郎について、一方、渋江は、岡山市出身の、宮城県は松島の桜井将夫についての捜査を進めてきた。一人残った由美子は、父親謙次郎の安否を心配するだけで、これといって、先生からの課題は無かった。もうすでに、謙次郎に関する案件は可能な限り集めていたからだ。
三人が先生の前のソファに腰を落とした。先生から見て、右側に、こげ茶色のジャケット姿の渋江警部。左側には紺のダブルをまとった清澄警部。その二人に挟まれて、淡いピンクのカーディガンに包まれた由美子が、センターの位置を占めている。
由美子は、少し緊張しているのか、軽い吐息をもらした。それを見て、高島先生が、声をあげた。
「今年も迫ってきましたね、もう、一ヶ月すると正月です。なんとか、年が変わる前に、この事件を解決したいですね。由美君のお父さんの件もありますし」
清澄と渋江は、それを聞いて微かに肯いた。由美子は、黙ったままで先生の顔をジッと見ていた。先生は一呼吸をおいて、話を続けた。
「今日は、その後の展開を聞きたいのですが、まず、清澄警部から石本についての報告をお願いいたします」
清澄は、上着を荒々しく脱ぐと、自分の後ろにあるテーブルに、投げ置いた。古びた手帳を、おもむろに取り出すと、視線を一転に集中した。
「石本の件で、改めて、現住所の小松市、それから、出身地の坂出市に行ってきました。坂出では、渋江警部の応援も頂きました。私自身、石川県に行ったのは初めてだったのですが、食べ物は美味しいし空気も爽やかで、非常にいい思いをさせていただきました」
由美子は、可愛い顔をして清澄を睨むと、
「清澄警部、何を言っているのですか、石川県小松市の観光案内をしてもらうために、ここにいるのでは無いのですから。いい加減にしてください。もっと、端的に話をして下さい」
話の入り口として、直接事件とは関係ない話から入ったのだが、由美子の逆鱗に触れてしまった。それはそうだ。事件の解決を何が何でも望んでいるのに、最初から緩んだ話をされたのでは、由美子の琴線が切れても仕方が無い。
清澄は、気分を入れ替えて、
「由美ちゃん、ごめんなさい。そんな心算ではなかったのですが、つい、ウッカリいたしました」
「分かれば、いいのです。話を続けてください」
「そうしましょう。石本の自宅は、小松市の市街地の閑静な住宅地にあります。家族は、五十歳の奥さんと、二十三歳、二十一歳のともに独身のお嬢さんが同居しております。石川県内の幾つかの高校を経て、五年前に、今の県立F高校に赴任しています。この高校は、県内では有数の進学校で、毎年、東大や京大、地元の金沢大学にも、可なりの数が入学をしています。
石本の教科は国語で、古文を教えているようです。受験対策だけでなく、彼の授業を聴いて国語の先生を目指すようになった生徒もいるそうで、中々の先生だったみたいです。クラブ活動では、先日、お話したとおり『和歌愛好会』の顧問をしており、F高校は県内随一の優秀高らしいですね」
清澄が、そこまで言うと、高島先生が、
「清澄警部、由美君のお父さんの職業は不動産屋。そして、松島の桜井も不動産屋。何か、不動産に関係があると思われるのですが、石本だけは、それと違って高校の国語の先生。ちょっと、違うのでよね」
不思議そうな顔をした。
「先生、話は最後まで聞いてくださいよ」
「と、言う事は、何か関係があるのかね」
「そこなのですよ。これは、奥さんからの話だったのですが、二人が結婚したのは、石本が金沢に来た時に、同じ県立高校の同僚だったのが縁で結ばれたのですが、実は、十年前に、小松市に土地と家を購入した時の準備や手際が、あまりにも見事だったので、奥さんが、それとなく聞いてみたそうです。すると、石本は、学生時代に不動産屋でアルバイトをしていたとの話をして、それっきり、その話には全く触れなくなったらしいです。
それを聞いた時、私もピンと来て、石本の学生時代、不動産屋のアルバイトの件を、しつっこく突っ込んだのですが、残念ながら、それ以上の事を聞きだすことは出来ませんでした。奥さん自身も、石本が何も言わなくなってしまったので、遠慮をしたのでしょう。
いずれにしても、石本の学生時代に、他の二人の共通項である不動産の仕事に結びつくことにはなりました。ですから、この三人は、不動産と『山陽百人一首』で、結びつくことになりました」
「そうですね。確かにそうですね。ただ、気になるところがありましたね」
「なんですか?」
「石本は、学生時代に不動産やアルバイトをしていた、と言いましたね。彼の年は、五十二歳。『山陽百人一首』が発行されたのが二十五年前。そうなると、石本が二十七歳の時ですね。普通の感覚で言えば、大学院に行っていなければ、学生とは言えません。仮に、学生時代に不動産屋でアルバイトをしていたとしたら、卒業した後も、引き続き、その仕事をしていたとしか考えられません。
その事は、奥さんの話や清澄警部からの話では、確かめようがありませんが、石本が金沢で国語の先生に奉職したのは、大学を卒業して直ぐではないでしょうから。実は、その間、不動産屋のアルバイトではなく、それこそ、それを本業にしていたのではないですかね。私には、そう思えるのですが。当然、その後、教員試験に合格し、金沢に行き、そして、奥さんに会うことになった」
「先生、そうなると、もしかしたら、『山陽百人一首』との関係よりも、不動産屋との関係の方が、今度の事件に結びつくと言うことですか?」
「いゃ、勿論、『山陽百人一首』も関係しているのだが、どちらかと言うと、和歌の上の、恋の鞘当よりも、もっと、現実的な金とか、女などが絡んでいると、見た方がいいのではないかね。当時の急成長時代では、不動産は金のなる木だったに違いないからね」
「そうすると、利害関係ということですか?」
「いゃ、現時点では、まだ、何とも言えないが、そういう可能性の方が現実的でしょう」
先生の指摘を待っていた由美子は、その言葉を聞いて、父親の仕事に関係したところで、この事件が起きているとしたら、父親は、今から二十五年前に何をしたのだろうか。あの父親を見る限り、人に迷惑をかけるようなことをしたとは思えなかった。だが、実際には、石川県の石本、宮城県の桜井が殺され、その関係者の一角に、父親がいることも確かなのだ。
渋江は、先生と清澄のやり取りを聞いていて、時に天井を眺め、瞑想にふけるような態度を見せた。彼にしても、先生と一緒で、この事件の解決を年内中には結論をだしたいと考えていた。
医務室の入り口には、予約をしないで高島先生の診察を待っている、患者さんが三人ほど屯している。先生は、時折、視線を移すと、会議の場を離れた。入り口で待っている患者さんの傍に行くと、不安そうな顔つきをしている、患者さんひとり一人に声をかけた。患者さんの表情が直ぐに変わった。先生から、直接話しかけられたので、安心したようである。先生は、状況を確認すると、夕方の診察を前提にして、予約の確認をした。患者さんは、診てもらえることが保障されたのか、ホッとした表情を見せると、振り返りながら医務室を後にした。
先生は戻ってくると、三人に向かって、
「夕方の五時以降に、患者さんが三人来ますから、話を先に進めましょう。清澄警部、後は、何かありますか?」
先生は、幾分、声を抑えていった。
「分かりました。石本の件を続けます。彼の出身地、坂出には、彼の親族は誰もいません。彼は、二十五年前に、突然失踪したのです。当時は、両親が健在でしたが、十三年前に父親が、八年前には母親がなくなっています。何れの葬式にも、彼は、出席していません。石川県で高校の先生をしているにも係わらず、連絡が取れなかったためだと、地元の古老が言っています」
「それも、可笑しいですね。戸籍を移すなどの行為があったはずですから、その後の消息が分からなくなる事はないでしょう」
「そのとおりなのですが、その住所に封書を出しても、住居不明で戻ってきてしまったそうです」
「どういうことなのですかね。そんなことってあり得るのですか?」
「移転先の住所をそのままにして、現住所は、別にして置けば、それも可能かも知れませんよ」
由美子が、分かった様な言い方をした。
「えっ、そんなことって、出来るのですか?」
「それは、可能ですよ」
「借家にして、家賃だけ払っておけばいいのですから」
「それにしたって」
「今は、銀行振り込みですから、大家さんと顔を会わせることも無いですから」
「その当時は、そういうことが通っていたのですね」
清澄の発言を耳にして、由美子が、納得したような返事をした。
「と言うことは、いずれにしても、石本は、坂出にいた時の事を、極力隠そうとしていたことになりますね」
高島先生が応じる。
「そうなのです。実は、彼の両親が坂出に移住してきたので、出身地は坂出になっていますが、実際には、坂出の学校を出ているわけではないのです。従って、地元には、殆ど知り合いがいないのですね」
「それは、石本としては、やはり、坂出での足跡を消したかったのでしょう。でも、これほど見事に過去を消し去っている事は賞賛に値しますね。それだけに、複雑な事件があったのではないですかね」
「だったら、二十五年前に坂出で何があったか、地元の不動産業者さんに聞いてみたらいいじゃないですか」
由美子が、またしても、意見を挟んだ。
「これって、グッドアイディアでしょう」
自信に満ちた表情で続けた。
「由美子さん。当然、その事は、県内の不動産屋を隈なく当たりました。殆どが、代替わりをしているため、その当時の事を知っている人はおりませんでした」
「そうなのだ。さすがね。清澄警部」
高島先生は、清澄と由美子の会話に、耳を済ませながら聞き入っている。時折、腕組みをしては、フッと息を吐く。何やら、一生懸命考えているようだ。その内に、思い出したように、渋江警部の方に視線を動かすと、
「渋江警部。それじゃ、桜井将夫について、話を伺いましょうか」
と、促した。
渋江警部は、漸く、自分の番が来たかと身を乗り出して、三人を見回した。
「それでは、私から、桜井将夫についてご説明をいたします。桜井将夫は、宮城県は松島で、小さな不動産業を営んでいます。家族は、四十九歳の妻と二十一歳の長男との三人暮らしです。地元では、私の口から言うのは何ですが、本当に最悪の評判です。あんな奴は、殺されて当然だ。誰かが殺なければ、俺が、殺していた。そういう、言い方を地元のあちこちで聞きました」
「それは、どういうことですか?」
先生が追求すると、
「桜井将夫のために、陥れられた人がかなりいるとのことです。不動産の転売で嵌められて、大損をした物もいれば、あることない事を広言して憚らない上に、平気で人の足を引っ張っていたそうです。周囲も呆れ顔で、殺される前は、殆ど相手にされていなかったそうです。松島で不動産屋を開業したのは、二十五年前で、石本が、坂出を離れた時と全く一緒です。開業当初は、商売も順調に進んでいましたので、地元の同業者からの紹介で、今の奥さん、三千子さんと結婚したようです。
その後は、先ほどのようなことが絡んで、可もなく不可もなく営業を続けてきましたが、ここ三年ほどは、相当に苦しかったらしいですね」
「ところで、その奥さんは、どう言っているのかね?」
先生が、その先の話を求めると、
「それが、奥さんは、全くと言っていいほど、自分の亭主のことについては、関心はなく、我々の話も真剣に聞くような態度ではなかったですね。彼女自身からは聞いていないのですが、どうやら、桜井は、結婚して直ぐに浮気をしだしたそうです。しかも、それが、何回も繰り返されたことで、とうとう、奥さんも嫌気が昂じて、同居離婚の状態が長らく続いたそうです。桜井の浮気癖は、病的だったとのことです。桜井が、浮気を繰り返したのは、結構、女性には持てていたそうですよ」
「松島の地元での評判は良く分かったが、そこへ行く前の岡山では、どうだったのですか?」
「これがですね。不思議なことなのですが、彼の失踪に併せて家族が、岡山を離れているのです」
「何処へ行ったのですか?」
「それは、分かりません」
「でも、岡山の地元には、桜井を知っている人たちが残っているでしょう」
「えぇ、そのつもりで周辺を当たりましたが、二十五年の歳月は、学生時代の彼の思い出だけで、他には何も聞けませんでした」
「渋江さん、桜井の両親が彼の失踪に併せて、岡山からいなくなったのは、両親自身の問題ではなく、桜井が起こした問題に責任を感じて、失踪したのではないですか」
高島先生が、渋江警部の話からポイントをピックアップした。
「先生、そうなのですよ。先ほどの、石本の場合は、両親は坂出に留まりましたが、桜井の場合の両親は、直ぐに岡山を離れています。と言うことは、岡山で、息子が関係した、何らかしらの事件が起きたため、桜井の両親は居たたまれなくなって、そこを離れる羽目になった。一方、石本の方は、同じ事件に関わったが、瀬戸を越えて坂出に住んでいたために、それほどのダメージを受けなかった。そう考えるのが普通のようです」
「一体、何があったと、言うの」
由美子は、焦れったくなったのか、投げやりな発言をした。二人の警部の話を聞いていると、結局は、出身地でも地元でも、今度の事件の参考になるような情報はないと思わざるを得なかった。
父親の謙次郎を含めて、何か不動産に関わる事件である事は間違いがない。それから、『山陽百人一首』も関わっている。そこまでは、分かっている。さらに、ダイングメッセージと思われる「ウコンの後ろ」。
事件を解決するための条件は、この三件に、京都と金沢にいた同一の女。高島先生を中心に清澄、渋江の両警部、それに、由美子の四人で、捜査をなぞって来たが、未だ最終の段階には及んでいなかった。
早いもので、根津神社での殺人事件から一ヵ月半が過ぎた。その間に、新たに瀬戸内の名勝地、鷲羽山での殺人事件。一つの事件の延長線上に、その事件と関連した事件が起こっている。
今度の二つの事件は、いずれも、被害者の足取り、というよりも、彼等を移動させるに足りうる情報がどのように流れ、そして、また、彼等がどのようにそれを受けたのかが、解明されていない。犯人は、彼等を呼び出す足跡を残していないのだ。それだけに、捜査の視点が錯乱されている。「ウコンの後ろ」という、ダイングメッセージを残しているところを見ると、捜査陣に対する挑戦をしているようにも見える。果して、解決の視点はあるのだろうか。
「清澄警部。犯人はなかなか強かですよ。やはり、警察権力に挑戦するような姿勢が垣間見えますね」
「先生、具体的に言ってください」
「よく考えてみてください。石川の石本は、東京に誘き出して、根津神社で事件を起こしています。なぜ、石川の地元ではいけなかったのか。何か、その事を否定するような案件があるでしょうか。東京で殺人を行った、ということは、その事件を注目させるためとしか思えませんね。
次に、桜井の件ですが、これも同様で、殺人を犯すのであれば、松島、仙台周辺でも良かった筈ではないですか。それを、桜井の場合は、彼の出身地、岡山の鷲羽山で殺人を行っている。これは、今度の事件の背景には、山陽道、就づく岡山周辺に関係がある事を、知らせようとしたのではないかね」
「どういうことですか?良く理解できませんが」
清澄がそう言うと、
「先生、私も良く分からないわ?」
と、由美子が、清澄に同調した。先生は、二人の顔を交互に眺めた。
「偶然が重なり合うと、それは、偶然ではなくて必然と言うことになります。でも、その規則性に気がつくかどうかで、偶然は飽くまでも偶然のままになりますね。今度の事件を見てください。「ウコンの後ろ」についての解明は済んではいませんが、我々は、少なくとも『山陽百人一首』の件をクリアしています。さらに、二十五年前に岡山を中心にしたエリアの不動産屋が絡んだ一件が、今回の事件の背景にあることも確認しています。犯人は、何とかして、それを分からせようとしたのですよ。
ですが、もし、今もって、それが分からないとしたら、犯人はどうしますか。当然、分からせるような手段をとるでしょう。」
「先生、何を言いたいのですか?」
「それは、また、事件が起きるということです。そうさせないためにも、早く事件を解決したいのです」
「それって、先生。もしかして、私のお父さんが死ぬってこと?」
由美子が顔色を変えた。ソファから立ち上がると、先生の傍に寄ってきた。右腕の袖を掴むと、左右に振り出した。急な先生の指摘が由美子に、かなりのショックを与えた。二人の警部は気の毒そうに成り行きを見ている。
先生は、由美子の両手を軽く握ると、
「由美君、まだ、そうなると決まったわけではないよ。きっと、事件は解決する。近々、謙次郎さんに会えるから心配しないで。先生が、きっとそうしてみせるよ」
そう言って、由美子の手を強く握り返した。先生の手の温もりが微かに由美子に移動する。徐々に温かみの強さが増してくると、不安が消え、気持ちが安定してくる。先生のちょっとした配慮が、由美子を安心させた。
「由美君のお父さん謙次郎さんの事は、当然、よく知っていますが、後の二人については、両警部の話からしか理解できませんが。どうも、三人の性格は随分違うようですね。謙次郎さんは、なるべく目立たないような生活をしてきたし、石本も、不動産とは関係がない高校の教師。それに較べると、桜井は、場所が岡山からすると遠隔地なだけに、割と、破天荒な動きをしていますね。
いずれにしても、この三人が関わった事件がなんなのかも、判明してないわけだ。したがって、これから先、的を絞って解明していかなければならない」
「先生、的を絞るって?何処を的にするのですか?」
渋江警部が、気を持たせるように言うと、目の前のコーヒーを一息にあけた。それに清澄警部も続いた。先生は、立ち上がると、背筋を伸ばした。一時間半以上も同じ姿勢でいると、腰痛の予兆が出てくる。身体に刺激を与えるちょうどいいタイミングだった。
「警部、絞る的は、『山陽百人一首』と彼らの関係を、どうしても解かなければならないことと、何が、彼等を動かしたかだよ」
「それじゃ、以前と同じじゃないですか」
「いや、違うよ。皆さんの、今までの動きをつぶさに判断すると、どうしても、そこにぶち当たるのだよ。そこを突破しないと、今度の事件の解決は難しくなる。ちょっとしたヒントが全てを氷解する場合もある。だから、諦めるわけにはいかないな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私も、もう一度、原点に返って考えてみるよ。それにしても、両捜査本部の今後の方針はどうなのですか?」
「先生、そんなこと聞かないで下さいよ。決まっているじゃないですか。捜査の原点は歩くことです。地道に地を這っていく積もりです」
「それが一番」
またまた、由美子がチャチャを入れた。
高島先生は、自分なりにイメージを持っていたが、それを後押しする決定打が見出せていなかった。それは、三人の男を動かした情報の中味と伝達の方式だった。犯人は、今頃、あざ笑っているかも知れない。捜査に携わっている人達への挑戦だ。翻れば、高島先生への挑戦でもあった。なんとしても、疑問点をクリアにしなけらばならない。犯人の挑戦を堂々と受けて、解決の道筋をつけなければ自分自身にとっても、納得がいかない。
相手にとって不足はない。どこか一点が突破できれば、後は、雪崩を打ったように解決の道筋を一直線に行く。その一点の発見がカギになっている。先生は、傍らにいる両警部と由美子の温もりを感じると、是が非でも、犯人の息遣いを身近なところで捕らえたいと、思わざるを得なかった。
その気持ちは、残りの三人も同じように感じていたに違いない。特に、由美子の父親、謙次郎のことがあったので、なお更だった。早く、解決をしないと、謙次郎の身に何かが起こる事は、全員が理解していた。
由美子が、三人に向かって、
「皆さん、めそめそしては駄目ですよ。事件は、先生の言うとおり、直に解決します。だから、それを目指して、今まで通り頑張りましょう。いいですね」
「由美ちゃん、その科白は、あなたが言うのではなく、先生が言う科白でしょうに」
清澄が、由美子を茶化した。それを聞いていた渋江警部が思わず、プッと息を吐いて、
「いやいや。それは、由美子さんの科白ですよ。説得力がありますよ。よく言ってくれました。仰せのとおり、頑張らしていただきます」
「またまた、渋江警部はお上手なのですから。でも、嬉しいです」
由美子は、舌をぺロッと出すと先生の後ろに隠れて、あらためて、二人を覗き見した。その表情があまりに子供っぽかったので、先生が大笑いをすると、二人の警部もそれにつられて、笑い声をあげた。
〜16〜
浅茅和歌子は故郷の岡山に帰る途中、京都に立ち寄っていた。
十一月に入ると、吹く風にも去り行く秋の風情が色濃く感じられるようになつている。京都は、すでに秋の真っ只中にあった。比叡の頂は秋色を深め、裾野への紅の乱降が始まり、やがて、市内への侵食を見せはじめている。このシーズン、JR東海の京都キャンペーンに誘われて、老若男女の観光客が押し寄せている。どこもかしこも、人の波。古都の静けさも、これでは形無しである。それでも、京都の佇まいは、心を癒してくれるのか、喧騒の中にいるだけでも、幸せと思わなければ罰が当たるって、言うものだ。
つい、最近も、関西地区における『WAKA』のキャンペーンで来京したのだが、その時は、仕事にかまけてどこにも行かなかった。というのも、イベントの立会いや得意先の接待などがあり、京都の癒しには全く触れなかった。だが、今回は仕事も一段落したので、遅い夏休みを十日間ばかりとって、命の洗濯と両親の墓参りに行くことにした。自分の好きな神社仏閣を回って、仏様との対面を心ゆくまで味わいたいと思っていた。
今度の京都の散策に当たっては、西国三十三所第二十番札所の西山宮問跡善峰寺に行こうとしていた。
浅茅和歌子が、最初に善峰寺に行ったのは、もう二十年も前のことである。寺は、京都の洛西、釈迦岳の東北の山腹に開かれている。京都市内からタクシーで一時間強ぐらいの距離だ。市内を離れると、その途中は左右に田舎の趣を残し、京都市内の喧騒を忘れさせてくれる、お寺さんだった。タクシーの停車場で降りて、少し、急な山道を登ると、山門が迎えてくれる。寺域は、約三万坪あり、拝観するには四十分位はかかるだろうか。春は、桜。秋は、紅葉。日本の自然美の極致が、ここ善峰寺にはある。国の天然記念物に指定されている、「遊龍の松」の姿は、見事だ。ご本尊は十一面千手観音像で、脇仏本尊として、開山源算上人作のやはり、十一面観音像がある。
人里はなれた寺容は、中心部の観光寺にはない奥行きの深いものがある。だが、その善峰寺は、昨年のJR東海の「そうだ、京都行こう」キャンペーンの洗礼を受けて、完全に観光寺になってしまった。働きアリの行列よろしく、バスやタクシーが狭い道を行き、終点のバス停に着くと、今度は、寺までの山道が、アリの通り道のような混雑具合を見せている。
浅茅和歌子の母親も、このお寺の静かな雰囲気が好きだったので、墓参りの前にはと思ったが、駅の観光案内状で聴いた状況からすると、人ごみの中にある善峰寺を想像するのがは辛いので、仕方なく、訪寺する事を諦めざるを得なかった。その代わりに、市内にありながら観光シーズンになっても、人の行き来が少ない知恩院に行くことにした。
晩秋の陽光は穏やかに肌を刺激する。浅茅和歌子は、柔らかい陽射しをうけながら五条坂を上がり、市営バスの駐車場の脇を通って、茶わん坂に向かった。この道は清水寺に続いている。
清水の舞台で有名な清水寺。京都では屈指の観光寺として有名である。それは、今に始まったことではない。『源氏物語』、『枕草子』その他の古典文学にも触れられているが、古の昔から参詣者は多かったようである。近年、世界遺産に登録されてからも、多くの観光客の参詣は増え続けている。
浅茅和歌子が、坂を上って行くに連れて、清水寺から降りてくる、何組かの修学旅行生の集団に出会った。老年会や京都観光の団体ツアー客にもすれ違った。このままでは、清水寺までは行けそうにもない。この分で行くと、境内は、かなりの人々で占領されているに違いない。
浅茅和歌子は、またまた方針を変更した。清水寺周辺の人ごみを避けて高台寺に向かった。そこでも、円山公園を経由して、清水寺に向かう多くの参詣客に出会った。その後、低い白塀が連なる「ねねの道」の余韻を、少し楽しんで、円山公園に歩を進めた。若いカップルや老年会の一団が、騒々しい話し声を残して、浅茅和歌子の背後を過ぎて行く。人の波が続いているが、一歩、円山公園に入ると、それまでの騒々しさが、嘘のように消えて、秋の天空の碧さが眼の前に拡がった。
砂利道の感触が足下から快く伝わってくる。こんな時間を持てるのも久し振りだ。胸いっぱい空気を吸って、ゆつくりと吐き出すと気分が落ち着いてくる。(気持ちがいい)
深呼吸を何回と無く繰り返しながら、身体全体で秋を感じつつ円山公園を抜けた。眼前に知恩院の三門が迫ってくる。さすがに、ここまで来ると観光客の数が極端に減ってくる。それ故、歩くスピードを自分のペースに合せることが出来る。古寺観仏には、ゆったりとした態度が重要だ。仏様と一緒の空間を共有する事は、仏像と呼吸の同一性なくしてはあり得ない。呼吸感と呼吸音の調和が出来れば、御仏の慈悲も目の前にある。
浅茅和歌子は、それが好きだった。御仏の存在と一体感を持った時、精神の解放が始まり、やがて、爆発する。
知恩院は浄土宗の総本山である。比叡山延暦寺で教えを受けた鎌倉時代の前後はあるが、現代の日本仏教の宗祖となった、高名な上人である法然が開宗したのが浄土宗である。
専修念仏?、これは唐の時代。善導大師の「観経疏」の中の一句「いついかなる時でも、一心に南無阿弥陀仏と唱える事を続けていけば、その者は、阿弥陀仏の本願力で極楽浄土に往生できる」に、心強く引かれ、一切の修行を捨てて、一向に念仏を唱える法門に帰依して、浄土宗をを世に広めることになった。
浅茅和歌子は三門をくぐった。そこには、迫り来る男坂が壁を作って待っている。数十段の石段の急勾配は、これから先の行く末に立ちはだかる、巨大な障害物のようにも思えた。見上げただけで、登ることに躊躇いを感じる。石段の重畳の先に何があるのか。浅茅和歌子は、躊躇いの呼吸をすると、一歩一歩、石段を登り始めた。
ここ数ヶ月の出来事を思い浮かべながら、石段に柔らかい足跡を残す。明匠製菓の宣伝課長になった時から、予定通りのスケジュールで『WAKA』の新発売にこぎつけられたこと。そして、三十億円を超える広告の大キャンペーン。全国津々浦々、新聞、テレビ、雑誌、ラジオ、そして、交通広告やインターネット広告。メディアミックスも上手く行った。その結果が、『WAKA』ブランド全体で、月に二十五億円を超える売り上げになっている。それに、本来、浅茅和歌子自身が願っていた案件も、無事に進んでいる。あと一件だけが残っているが、これも、いずれ片がつく。後は、両親の墓前に行くことで、全てが完了する。
通り過ぎた思いを乗せて、石段を登りきると、突然に視界が開かれてくる。知恩院の伽藍が広大な敷地の中に見事な佇まいを見せている。広い境内には、華頂山を中心にした東山連峰を背景にして多くの堂宇が配置されている。中央には、本堂の御影堂。西側には阿弥陀堂。右には経堂、南側に宝仏殿が立ち並んでいる。
振りかえると、急勾配の石段越しに、高さが二十四メートルの三門が眼下に見え、その先には京都市内が垣間見える。こうして見下ろして見ると、石段の数と急勾配に象徴される多くの障害を乗り越えて、ここに立っていることが不思議に思えてくる。。
境内を進み、御影堂を左に見て経堂の先を行くと、高台へ登る石段が見えてくる。石段の中央には手摺りが設置されていて、その先は静寂な空間が拝観者を待っている。その前に立つと、浄土宗の信者さんなのか、多くの人たちが、列を成している。
浅茅和歌子も、その手摺りに助けられて、石段を登りきった。そこは、法然上人の御廟だ。知恩院の東の一番奥にあり、上人が勢至堂で亡くなれた後、分骨が収められた場所である。荘厳な気分の中、お参りをするために御廟の前に立って手を合わせた。その時にふと、法然上人の和歌がひとりでに浮かんできた。
『 月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 』
浅茅和歌子の父親は、浄土宗の信徒だったため、和歌子が、父親の導きで和歌の世界に入った時に、よく、この和歌を歌っていた。意味は、
(月の光は、すべてのものを照らしている。里や里人の人たちにも、普く降り注いでいる。だが、月を眺めている人しか、その降り注いでいる月の美しさを知る事はない)
これは、まさに比喩で、その真意は、(阿弥陀仏のお慈悲のこころは、全ての人たちに平等に注がれているが、手を合わせて、「南無阿弥陀仏」と、お念仏を称える人のみが、阿弥陀仏の救いをこうむることが出来る)
と、いうことで、旧仏教のように厳しい修行したものだけが救われる世界に、一石を投じたのだ。
浅茅和歌子の父親、浅茅法御は、岡山は備前の出身である。代々、伊部の住民だった。法然上人は、その岡山は美作の出身である。備前と美作は隣どうしだ。その縁で、浅茅家の宗旨は浄土宗なのである。菩提寺も備前は伊部の山の片隅にあった。浅茅和歌子の父親も小さい頃から、「南無阿弥陀仏」に帰依し、それが、娘である、浅茅和歌子にも受継がれていた。
浅茅和歌子は、この和歌が好きだった。だから、休暇を過ごす一端に京都を選んだ時、この知恩院に来ることにしていた。御廟を離れるために逆に石段を降りて行くと、その時に微かではあるが、自分の背後に何か視線を感じた。実は、この視線は、今感じたのが初めてではなく、それ以前に、ねねの道から高台寺、円山公園に行く途中にも、薄らと感じていた。誰かに見られている、後をつけられている。そんな感じがしたのだ。その都度、何気ない素振りで見せながら後ろを観察したが、それらしき怪しい人物は見当たらなかった。
こんな静かな環境にいるからこそ、視線の強さが余計に感じられる。一体誰なのか?京都に来る時の新幹線内では、そんな気配は、全く感じられなかったが、京都市内を歩き始めて暫くすると、何となく感じ始めた。特に、知恩院に来てから、今までに増して強く感じられるようになって来た。
浅茅和歌子は、法然上人が入寂された勢至堂を経て、その裏側にある墓地へ行った。そにには、歴代の上人さまのお墓がある。さらに、その墓地の奥には、あの千姫の墓所もある。徳川二代将軍秀忠の娘に生まれたが、戦国時代の世の習いか、数奇な運命を辿った。その墓前に立つと、自然に両手を重ねた。四百年前の千姫に思いを馳せながら、瞳を閉じてジッとしていると、背後で物音がしたような気がした。やはり、誰かが、自分の事を監視していると直感的に、思いを巡らした。合掌を解くと、おもむろに振り返って辺りを見回したが、他人を確認する事は出来なかった。。可笑しい、こんなに何回も視線や気配を感じるなんて。一体、誰なのかしらの?あらためて、周囲の墓石の後ろ側までも、丁寧に見入った。が、そこには、華頂山さんから舞い降りる湿った風に踊る、塔婆の音しか聞こえなかった。
浅茅和歌子の休暇を知っているのは、明匠製菓の薮内社長と吉越常務、田尻部長、それに、広告宣伝部の部員とO&Uの名称チームの連中だけだ。中でも、両親の墓参りに行く事を知っているのは、薮内社長だけである。ましてや、その途中の京都に立ち寄る事は、誰にも言っていない。だから、分かる筈がないのである。
浅茅和歌子は、今来たルートを逆に辿り御影堂に戻ってきた。その間、腑に落ちない気分が胸の中で膨らんでいた。誰かが、私を見ている。相手が分からないだけに不安である。
境内を通り過ぎて阿弥陀堂に向かうと、一人の女子が駆け足で、浅茅和歌子に近寄ってきた。年の頃は五、六歳ぐらいか。おかっぱ頭の色の白い子だった。傍に来ると、
「おばちゃん。これ。」
と言って、封書を渡そうとした。
浅茅和歌子は、(あら、何かしら?)と、不思議そうな表情を浮かべた。封書を手にすると、
「お嬢さん、これどうしたの?」
と、やさしく聞いた。女の子は、
「あのおじさんが、渡してきてって、言ったの」
そう言いながら、女の子は女坂の方を指差した。浅茅和歌子は、女の子が指差した方向を素早く見た。すると、カジュアルな格好をした、一人の男の姿が遠望できた。見たことのない服装をしている。気になって、その男の方に急ぎ足で向かった。が、男は、浅茅和歌子の動きを察知して、一気に女坂を降りて行った。浅茅和歌子が、女坂の男がいたところに着いた時には、男は、坂下にすでに消えていた。
誰なのかしら?何なのだろう?浅茅和歌子が元の場所に戻ると、境内は何事もなかったように静かだった。信者の一団が御影堂の前で記念写真を撮っている。おかっぱ頭の女の子の姿は後陰もなかった。一体全体、何なのだろうか?これでは、手許に残された封書を見るしかない。何が書かれているのか?全く心当たりのない手紙。
浅茅和歌子は、折りたたまれた手紙を一折、二折と開いた。中味はワープロで文字が書き込まれている。ゆっくりと視線を落とすと、
(浅茅和歌子様、私は、常に、あなたの傍にいます。常に、あなたを見守っています。あなたの目的を達成するためなら、何でもいたします。今日も、こうして、影になり日向になり、あなたを行くへを追い、力になれればと、思っています。安心して、休暇をお過ごしください)
浅茅和歌子は、読み終えるとフッと溜息をついた。自分の休暇のことを知っている人間がいるのだ。それも、京都に来る事は誰にも告げていないのに。手紙をくれたということは、東京から後をつけてきたとしか考えられない。誰なのだろう?こんな手紙を寄越す人には、心当たりがないだけに、見張られていることに不気味な感じがした。
浅茅和歌子は、何も発見できない事は分かっていたが、もう一度、あえて、丁寧に辺りを見回した。ちょうど、境内の中央部分に立っていたので、三百六十度ぐるりと回転することになる。近いところ、遠い所、注意深く見回したが、これといって気になる人は目に付かなかった。周辺の人は、何事もないかのようにお参りをしている。
華頂山からの一陣の風が砂を吹き上げ、秋色の濃い紅葉の葉陰に、砂を舞い下ろした。浅茅和歌子は、女坂の上に立ち、御影堂の方に振り返って一礼をして、坂を降りていった。
浅茅和歌子は、高野川と賀茂川が合流して、いわゆる、鴨川になるY字形の三角州に近い、賀茂川よりの土手下の和風旅館『D』に宿を取った。叡山電鉄の「出町柳」駅から十分ほどのところで、眼前の賀茂川の河原には、鴫が五、六羽屯している。こうして見ていると、この原風景が京都の秋の趣を残している。その賀茂川の先、高野川に挟まれた剣先、その三角州に糺の森と下鴨神社がある。
浅茅和歌子は、三階の和室に案内された。部屋は二間で、一間の広さは八畳である。部屋境の欄間に刻まれた鶴の彫り絵は、木質の肌理を鮮やかに浮き彫りにしている。そこに佇むと、京畳の匂いが何とも言えず、和室に漂う香りが鼻腔に快い刺激を与えてくれる。窓を開けると賀茂川の河原が眼下に見える。遠景には、五山の送り火の際には、右大文字の大きな文字が見える如意ヶ嶽が望める。こんな風景の中で、毎日を暮らしたら、さぞかしストレスも発散されるに違いない。まぁ、一時でも、そんなノンビリした休暇がとれることは、充電にもなるし精神の解放にも、いい影響を及ぼす。
内風呂があるのだが、ゆっくりと手足を伸ばして、湯船に浸かりたいと思い、地下の欲場に下りて行った。その途中、秋を息吹かせている朱塊が、賀茂川の先に沈もうとしていた。何処で見ても同じ太陽なのだが、場所が変わり、気分が変わると、不思議なのだが、迫り来る印象も変わってくる。今日は、何時もにも増して、感傷的な気分を醸し出している。
一階を通り過ぎて、地下に降りようとした時、また、なにやら凝視されているような視線を感じた。周囲を見回したが、クロークには、今着いたらしい中年のカップルが二組と、若い女性たちのグループがいるだけで、あとは、旅館の従業員の人影を数人確認しただけだった。二階の方も覗いてみたが、人の気配はない。
知恩院の時と同じだ。誰かが自分を見張っている。しつこく旅館まで追ってきている。あの手紙の主なのか?
(常に、あなたを見守っています)
文章の一説を思い出しながら、地下へ下りて行った。この調子でいくと、これから先も、こうやって自分の身の回りを監視し続けるのだろうか。女湯の暖簾をくぐって中に入ると、一人だけの世界だった。檜の湯船に身を沈めて、ここ半年間の出来事を思い浮べた。あまりのスピードある展開に、自分自身でも驚くのだが、明匠製菓に入社した時から考えていたスケジュール通り、物事が上手く進んだ。
身体に湯をかけると、肌の弾力に踊らされて水玉が、いくつも弾んだ。その水玉の行くへを追っていると、小さなものが集まり出して、やがて、一塊の水玉に成長した。それを見ていると、自分が、四年前に明匠製菓に来た時は、まさに、幾つもの水玉がバラバラで、調和が取れていなかった事を思い浮べる。だが、今では、それらも纏まりを見せて、大きな水玉に変わっている。目覚しいほどに社員の結束力もたかまってきている。
浅茅和歌子は、立ち上がると、窓に映る自分の身体を見て、年甲斐もなくポーズを作った。久し振りのノンビリした時間がそうさせた。自分で言うのも恥ずかしいが、中々のボディをしている。感心を持って見ていると、その時だった。やはり、どこからか、冷たくさせる何とも言えない視線を感じるのだ。こんな密室に近いような空間で、それを感じた。浴室は地下にはあるが、窓の外部は、緑の木々が植栽されており、人が入れる余地がないのに、そう感じてしまうのだ。
ここまで、感じるのは何故なのだろうか。自分の意識がそうさせている訳ではない。だが、この場にかかるプレッシャーは、姿は見えないが有人のインパクトがある。あの手紙に書かれていたように自分を見守るのではなく、その反対に、自分を見張っているように感じる。
急いで脱衣所にいくと、服を身にまとい、逃げ帰るように部屋に戻った。窓の外を確認すると鍵をかけ、カーテンをダブルに閉めて、賀茂川に面した障子も素早く閉めた。和風レストランで食事する予定も、急遽、部屋で摂ることにした。これで、完全に外界からの視線をシャットアウトできる。不安な気持ちと、一体誰が、そんな事をしているのか、興味もあった。明日もこれが続くのであれば、一気に解決できるような、場を作ってみることも考えることにした。
翌日、浅茅和歌子は、故郷の岡山に行くことになっていた。タクシーを玄関先まで呼んでもらい、京都駅まで行くことにした。念のために、賀茂川の川辺にも足を運び、宿の周囲を見回したが、これといって別段変化はなかった。川べりを散策する人影が、チラホラ見えるだけだった。山緑と碧空が形づくる東山の山容は、何事もなかったかのように、いつもの佇まいを見せていた。
早々に宿を出て京都駅に向かった。途中の河原町周辺には、すでに観光客と思しき人の群れが、忙しなく行き交っている。こうして見ていると、京都が如何に、日本人に愛されているかがよく分かる。年々、春、秋の観光客は増えており、千二百年を越える古都の安らぎが、連綿として受継がれている。古の時代からの精神文化が時の流れを超越して、見えざる姿を伝えているのだ。
京都駅の活況にもなれてきた。行き来する人ごみを掻き分けて、新幹線に向かった。その間、改札を抜ける時も、身の回りに注意をしていた。新幹線ホームでも、同じように、辺りを探ってみたが、これといって気にかかるような印象はなかった。ウイークディの朝だったので、東京や大阪に行くのか、周りは、スーツ姿のサラーリーマンでごった返していた。
昨日に続いて、秋晴れは相変わらず続いている。これほどまでに、天空が高く、爽やかな朝は東京では、なかなか、味わえない。同じ秋晴れの朝には違いはないのだが、やはり、どこかが違うのだ。気分が本当に爽快になってくる。
浅茅和歌子は、博多までの「のぞみ」に乗り込んだ。「のぞみ」は定刻どおり、九時十二分に京都駅を発車した。岡山には十時十四分に着く。乗っている時間は、一時間を少し越えるぐらいだ。その間、大阪から、神戸、赤穂を過ぎて、岡山までの窓外の景色を楽しむことになった。黄金色のだった田園は、すでに、稲の刈り取りは済んでおり、畑には、白菜やキャベツなどの冬野菜が、青い葉をつけていた。
岡山駅には予定通りの時間に着いた。直ぐにJR赤穂線に乗り換えて、伊部に向かった。岡山からは三五分の距離だ。伊部は、備前焼の故郷と言われている。いまでも、多くの作家が居住しており、幹線道路沿いには、陶芸店が集中している。
浅茅和歌子は、伊部駅に降りるのは十年振りだった。駅前は、すっかり変わっている。駐車場も広く取られていて、観光客の受け入れに力を入れている様子が分かる。折角、備前焼の故郷、ましてや自分の故郷に来たのだから、素晴らしい作品を見ない訳にはいかない。
伊部駅の直ぐ脇には、古備前から人間国宝の藤原啓をはじめ、多くの名工の作品が展示されている、備前陶芸美術館がある。
浅茅和歌子は、美術館の入り口を入ると料金五百円を払った。館内は一人の見学者もいないのか静かだった。展示案内が簡単に記されたパンフレットを手にして、エレベータで五階に上がった。上から下へ一階々見ながら降りてくれば、その分、楽になる。五階のフロアーに行くと、静寂の空間が迎えてくれた。浅茅和歌子の外に誰もいない。展示場の中は、本当に、物音一つしない空間になっている。
そこには、赤みの強い、鎌倉時代の古備前が並べられている。水瓶のどっしりとした落ち着きは、何とも言えない雰囲気である。一つひとつの作品の表情は、見る位置や光の加減によっても変わってくる。無釉薬でありながら、千年の歴史の積層が、これほどの光を放っているように見えるのは、派手さはないが、生活の中での味わいがそうしているのかも知れない。
浅茅和歌子は、覗き込むように展示物を鑑賞している。一つとして、同じ模様のない茶褐色の地肌に、視線が吸い込まれるて行く。あまりに夢中になって見ていたせいか、肩から腰にかけて重みを感じた。屈めていた腰をあげ、ゆっくりと背伸びをすると、五階の入り口の方に人影を感じた。
先ほどまでは、この場所には誰もいなかった。浅茅和歌子一人のはずだった。この際、いい機会だと思い、急いで五階の入り口の方へ行った。駆け足の音が室内に響く。ほんの間ではあったが、、またもや、エレベータホールには誰もいなかった。すぐさま、一階の受付に下りて行った。入り口のドアを開けたまま、頭に手ぬぐいを巻いた女性の係員が朝の掃除をしていた。手際よく、受付周辺を掃き清めていた。浅茅和歌子は、ちょっと、遠慮をしたが、そこにいる係りの女性に聞いてみた。
「あの、すいません。ちょっと、お尋ねしたのですが、よろしいでしょうか?」
浅茅和歌子の声に、五十前後ぐらいの女性が、叩きを持ったまま振り返った。
「はい、何か御用ですか?」
「えぇ。ちょっと、いいですか。わたくしが入館する前に入っている方は、いらっしゃいましたか?」
「いぇ、あなた様が、本日の、入館者第一号です」
「そうですか。それじゃ、わたくしの後には、どなたか、いましたか?」
「えぇ、おりましたよ。あなた様がお入りになって一分もしない内に、男の方が入館されました」
「その方は、まだ、館内にいらっしゃいますかしら?」
「あぁ、その方だったら、たった今、お出になりましたよ。五百円も払って何も見ないで帰るなんて、何を考えているのでしょうね」
「そうですか。それで、その方って、どんな感じの男でしたか?」
「いゃ、私は、男を見る目がないから、良く分かりませんが、あれは、東京の人のような感じがします。
だって、入館する時に、携帯電話で子供さんと話しているようで、明日帰ったら、東京駅の大丸で買い物して行くと言っていましたから」
「そうですか。そんな事を言っていたのですか」
「あの、その男がなにか?」
「いぇ、何でもありません。お忙しいところありがとうございました。わたくしも、これで、失礼いたします」
そう言って、美術館を後にした。
浅茅和歌子は、表に出た。太陽は、すでに中天にあり、スーツの上着を脱ぎたいくらいの暖かさだ。道行く人たちも熱いのか半袖姿の人もいた。再び、駅前に戻ると、タクシー乗り場に行った。もともと、この辺りは、典型的な車社会である。周辺住民の車の所有率も高く、誰もが、自家用車で移動をするのだ。そのためか、タクシーの台数は少ないらしい。
五分も待っただろうか。幹線道路の車を一時停車させて、タクシーが近寄ってきた。良く見ると、女性の運転手さんだった。タクシーを止めると、運転手さんが、わざわざ降りてきて、後ろのドアを開けた。
「お待たせいたしました。どうぞ、お乗りになってください」
さすがに、女性らしく愛想が良い。その声に引きずられて、後ろの席に着いた。車内は、軽いクーラーが効いていた。ホッとした気分になって、席に腰を沈めると、白い手袋を嵌めた、どうだろうか四十歳を少し越えたぐらいの運転手が、
「お客さん、どちらまで?行きますか」
と、行き先を聞いてきた。声の通りが若い。
「あぁ、すいません。大滝山のF寺へ、お願いいたします」
「F寺ですか?」
「えぇ、それがなにか?」
「だって、あぁ、言葉が粗雑ですいません。先刻も、F寺までお客さんをお送りしたのですよ。土、日でしたら、そういうこともありますが、こんな普段の日に、続けてF寺に行くなんて珍しい」
「本当に?それで、そのお客さんってどんな人?」
「男の人。そう、年の頃は、四十を少し越えたぐらいかな。私の、男を見る目は確かだから、間違いないよ」
「男の人?」
浅茅和歌子が、確認するように言うと、女性の運転手は、
「そう。結構、いい男でしたよ。着ている物からすると、あれは、サラリーマンではなく、自由業のような感じですよ。何故って、着こなしが上手だったし、身体から、香水の匂いがしたよ。普通の人だったら、あんなに、香水なんか使わないでしょう」
浅茅和歌子は、その話を聞いて、京都から、ここまでつけて来た男の正体が分かった。なぜ?彼が、自分の後をつけているのか。確かに、彼には無理を言って、自分のわがままを通したが、それ以外で、彼には、何も頼みごとをしていない。ましてや、こんな風に、後をつけられるような関係ではない。
車は、国道二号線を一路F寺に向かっている。すれ違う車は大型車が多い。それにしても、この女性運転手は度胸が良い。平気な顔をして、スピードを上げる。
「お客さん、お墓参りですか?」
前方をしっかりと見つめながら、聞いてきた。
「そうです。十年振りに両親のお墓参りなの」
「そうですか。ご両親もお喜びになるでしょう。良いことなさいますね」
「あら、当然のことでしょう。親子なのだから」
「何を言っているのですか。そんなこと、ありません。今では、お客さんみたいな考え方をする人は珍しいのですよ。お客さんのことだから、当然ご存知だと思いますが、この辺りでも、都会に出て行く人たちが、多くなってきて、ご自分のご先祖を放ったらかしにして、墓守をする人がいなくなっているのですよ」
「あぁ、その話は、以前に聞いたことがあります」
「それに較べると、お客さんは偉いですよ。ちゃんと、ご両親の墓参りに来られているのですから」
「そんなこと、ないのよ。そういう、わたくしだって、十年振りなのよ。親不孝しているのね」
「それでも、分かっていらっしゃるから、良いのですよね」
運転手さんとの会話が十分も続いただろうか。タクシーは、F寺の山門前に着いた。浅茅和歌子は、タクシーを降りると、その山門の前に立った。前回、この寺を訪れたのは十年前だ。両親の十七回忌の時だった。誰にも相談せず、一人で両親の供養を行った。今回もそうだ。二七回忌の供養を、自分ひとりで執り行なう。
F寺は、山陽地区では有数の古寺で、最盛期には三十三房を数え、隆盛を誇った。寺の創建は古く、法隆寺や唐招提寺と並んだ記録が残されている。特に、三重塔は、国の重要文化財に指定されており、室町時代の建立である。
浅茅和歌子は、裏山に近いところにある墓地に向かった。歴史あるだけに、古い墓石が立ち並んでいるが、タクシーの運転手さんの話ではないが、手入れの届いていない墓石が数多く見られる。が、周りのお墓はそんな状況のものばかりではない。しっかりと、管理されているものもある。石畳を奥の方に進んで行くと、一段と高い所に奇麗に整理された墓石が見えてきた。
そこには、すでに、住職さんが待っていた。花とお線香がすでに用意されていて、後は、お参りすれば良い状態になっていた。浅茅家のお墓である。墓石の中央に浅茅家と、しっかりした文字が刻み込まれている。浅茅和歌子は、住職に挨拶をすると、バッグの中から数珠を取り出して、合掌した。十年ぶりの墓参りである。
目を閉じて、暫しの間、その姿勢を保ったままである。なにやら、口中に言葉を盛んに呟いている。お住職がいるのを忘れているかのように、忘失な状態になっている。だが、やがて、顔をあげると、もう一度静かに一礼をして、墓石の側面に顔を移した。そこには大理石に刻まれた文字が浮かんでいる。
浅茅和歌子は墓石の傍によると、改めてその文字に目線を集中した。そこには、三十一文字の和歌が刻まれていた。
(緑風 渡る瀬に泣く 幼子を 抱き上げあやす 両手への重み)
この和歌は、浅茅和歌子の父親の浅茅法御が、まだ、小さかった浅茅和歌子を連れて、瀬戸内海に行った時に詠んだものである。彼女自身、何処の海辺であるかはよく覚えていないのだが、確かに、小さい頃、両親と一緒に海岸に行った時に、父親から、高い高いと両腕で抱き上げられたのが、微かに頭の片隅に残っていた。
誕生日になると、父親は、いつもこの和歌を詠ってくれた。幼いながら、この和歌を覚えることで、父親との密接な関係が築かれると、一生懸命に覚えた。
こうして、この和歌を詠むのも十年振りだ。忘れることがないぐらいに覚えているのに、改めて、墓石の文字に触れると、父親に抱かれたことが、否応なく思い出される。
(雄雄しく、優しかった父。和歌が上手だった父。誰にも愛された父。でも、だらしないところがあった父)
思い出すと、二十五年前までの父親が目蓋に浮かんでくる。あんなに良い父親が、突然自殺した。それ以降の、母親の気狂いは想像を絶し、やがて、父親の後を追った。十六歳の乙女を襲ったあの出来事は、永遠に忘れる事は出来ない。今、墓前の前に立って両手を合せ、報告することが、供養だと思っている。父親と母親の無念さを思うと、合せた手にも力が入った。
住職さんに丁重にお礼を言って、両親の墓前を離れようとした時、
「課長」
と呼ぶ、陰に籠った声が背後から聞こえてきた。その声は聞いたことがある。自分の身の回りにいて、一緒に仕事をした仲間だ。やはり、そうだったのか。あの男が、最後の最後に姿を現した。そう、思いながら、背後の方にふり返った。墓石の間に一人の男が立っていた。男の仕事人らしい服装は、この墓地では不似合いである。墓参りをする衣装ではない。
「雨貝さん、やはり、あなただったのね。後をつけていたのは」
浅茅和歌子の低い叫び声が、墓地の空間の間にうごめくと、雨貝は、躊躇いながらも微かに笑みを浮かべて、浅茅和歌子の傍らに近づいて来た。
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