HOME > エブリディ・ラーニング > 小説 > 10週目


「映像の逆訴」


〜19〜

 その日の午後から急に寒くなってきた。昼の天気予報によると、シベリアからの寒気団が例年より早く南下して来ていて、北海道から東北、北陸地方は、吹雪になっているらしい。東京も、木枯らし一番なのか、窓外には街路樹が、左右に大きく揺れている。早いもので、二週間後はもう師走だ。今年も、あと一ヶ月半で終わる。時の流れは、喜怒哀楽を演出する。それぞれの人にとっての、喜び、怒り、哀しみ、そして、楽しみ。窓の外に見る木枯らしが、一瞬たりとも、同じ風姿にならないように、喜怒哀楽も、一片たりとも同形になる事はない。
 Mブックセンターの医務室に、いつものメンバー四人に加え、急遽、高島先生の要請で、冬来が参加することになった。四人は、それぞれ、別々に医務室に入ってきたが、外気の寒さに頬が晒されて、真っ赤な顔色をしている。特に、由美子の顔は若い女性に特有のリンゴのように、程よい色合いをしていた。
 両警部は、冬来とは初対面だった。高島先生が、型通りに二人に紹介すると、冬来は、慌てて椅子から立ち上がった。軽く頭を下げて、簡単な自己紹介をした。そして、二人の顔を見比べて、用心深そうな仕草で名刺を交換した。その後は、何事もなかったように元の席に腰をおろした。
 三人がけのソファの中央に高島先生が座り、右端に渋江警部。左端に清澄が座った。由美子と冬来は、その対面の一人がけの椅子に座っていた。
 清澄は、高島先生からの午前中の電話で、打ち合わせの大まかな趣旨は聞いていた。だが、細かいニュアンスまでの説明は受けていなかった。それ故、なぜ、冬来がこの場にいるのか知る由もなかった。そんな思惑を感じつつ、冬来に視線を合せると、冬来は、居たたまれないように目をそらし、それとない緊張感を漲らせた。
何を質問されるのか不安になっていた。四人の顔は冬来に集中している。冬来にとっては、仕事上での緊張感は苦にならないが、このような場での緊張感は、落ち着き場所を奪うような気分になってくる。一番左端に座っている清澄の顔をジッと見つめ直した。
「それでは、話を進めようか。先刻、電話で告げた通り、二つの殺人事件がいよいよ、解明できることになった。三ヶ月という時間がかかったが、解決は目前に迫っている。今日は、これから、その核心について、私の考えをご披露いたします。
 冬来部長にとっては、辛い事になるかも知れませんがそれはそれで、ここは、ご承知願いたいと思います」
「先生。先生は、事件の全貌が分かたったと、言うのですか?」
 由美子が、素っ頓狂な声で聞いた。
「細かい点では、問題があるかも知れませんが、大筋については、ほぼ、解明できています。」
「へぇ、そうなのだ。やるわね。先生」
 由美子の変な激励を受けて、高島先生は、軽い調子で右手を上げた。そして、由美子に大袈裟な表情をしてウインクを返した。
「冬来さん、昨日は、お忙しいところありがとうございました。あなたの話は、とても参考になりました。今日は、まず、二点についてお尋ねいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「いえ、こちらこそ失礼いたしました。あれから、すぐに社に戻りまして、社内外の関係者をあたりましたが、今の段階では、これと言って、昨日お話した以上の目新しい事は洗い出せませんでした」
 冬来は、申し訳なさそうに低い声で、報告をした。
「そうでしょうね。あの時間からでは無理ですよ。関係者を集めるだけでも大変ですから。そんな簡単には行かないと思っていました。ご苦労様でした。それよりも、一つ、聞いてもいいですか?
 実は、静かな雰囲気の中で、ゆっくりと鑑賞したいと思い、今朝一番で展示会場に行きました。すると、昨日まで置いてあった、TVモニターが消えていましたが、あれは、どんな理由で撤去したのでしょうか。係員の方にお尋ねしたら、代理店の担当者に聞いて下さいと言われました」
 冬来は、高島先生の質問を聞いて、やはり(来たか)と、思った。会えば、必ず、この事は質問される。先生は、会場内のTVモニターで、『WAKA』のコマーシャルを見ている。それが、急に撤去されれば可笑しいと思うのは当然である。
 だが、先生は、まだ、浅茅和歌子のことには気がついていないはずだ。もし、彼女の指示で撤去したことがバレルとしたら、浅茅和歌子を疑ってかかるに違いない。だが、そのことは、自分と橋爪、それに、明匠製菓の志水係長しか知らないことだ。
 ここは、もう少し、事件の背景が分かるまでは、惚けるしかない。浅茅和歌子と連絡が取れるまでの、時間を稼がなければならない。冬来は、そう思って、
「先生、私は、会場を見ておりませんので、その件については、全く知りませんでした。それよりも、コマーシャルの方を調べるので、忙しかったもので」
 と、言い訳っぽく説明した。
 冬来にしてみれば、プレゼン以外で、全く見ず知らずの人たち、それも、警察関係の人たちとの打ち合わせは、初めてだった。それだけに、言いようもない緊張感で口中が乾いてくる。
「そうですか。ですが、撤去をしたと言うことは、会場に置かれていては困る人がいたからですよね。オープン当初、その困る人は、『WAKA』のコマーシャルが、会場内でオンエアされる事は知らなかった。ですから、四日間経っても、撤去するような事態にはならなかった。
 ところが、何かの契機で、会場内でコマーシャルを流している事を知ったのですね。それで、困る人は、早急に撤去するよう命じたわけです。それは、多分、昨日の夕方以降のことでしょう」
「…………………………………」
 冬来は、先生の顔を見ながら、その話を黙って聞いていた。
「冬来さんは、その命令した人をご存知なのでしょう?どうなのですか?」
「いぇ、思い当たりませんね。誰なのですかね?」
「冬来さん、あのTVモニターの撤去を命じられるのは、スポンサーか、御社、つまりO&U社の社員しかいませんでしょう。まさか、来場者が、止めてくれとは言いませんよね。そうなると、冬来さんの周囲にいる人が、命令したとしか考えられないことになります」
「…………………………………」
「心当たりはありませんか?」
「ありませんね。先ほども申し上げましたが、私は、コマーシャルの件をチェックいたしておりましたので、撤去については、何も聞いておりませんでした。何れにいたしましても、その件についても、至急、調べさせます。改めて、ご報告させていただきます」
 冬来の心臓は高鳴っていた。高島先生の的確な指摘に逃げ場がなくなっている。これ以上、追求されると、浅茅和歌子。名前を出さざるを得なくなる。ドギマギしながらも、何とか、この場を繕うとした。
「では、冬来さん、もう一件、よろしいでしょうか?」
「まだ、何か?」
 冬来は、何を聞かれるのだろうかと、不安そうに聞いた。先生は由美子と両警部を一瞥すると、余裕を持って質問を続けた。
「これから、私が申し上げる、姓、名に、心当たりがあるかどうか、教えていただきたいのです。」
「分かりました。どうぞ」
 冬来は、先生が、どんな名前を告げてくるのか。その中に、浅茅和歌子の名前が入っているのか。いや、そんな筈はない。どう考えても、彼女の名前が出てくる必然性はないのだ。そう思うと、少しは、ホッとする気分になる。 「冬来さん、いいですか。まず、一つ目は(等)。二つ目は(小野)。三つ目は(篠原)。どうですか。心当たりはありますか。最初の(等)は、多分、男性の名前ですね。後のものは、姓と、思われます。男女の別は分かりませんが、本当のところ、私達は、女性ではないかと考えています」
 冬来は、三件の名前を聞いて安心した。どうせ、浅茅和歌子の名前は出る筈がないと、高を括っていたが、先生が、女性と言った瞬間、背筋に冷たいものが走った。何で、女性なのか。その根拠は何処にあるのか。余りに突然だったので、焦りが皮膚の表面を走り去った。それにしても、自分が知らないことが多すぎる。情報量の違いが、自分を困惑させている。
 それはそうだ。殺人事件に、『WAKA』のコマーシャルが、ある役割をしているのではないかと、分かったのも昨日の事だ。まさかとは思ったが、先生の話を聞いた時は驚きと不安が交錯して、ただただ、浅茅和歌子の事を心配するので精一杯だった。昨夜もあれ以降、浅茅和歌子からの連絡を待ち続けたが、結局、携帯電話は鳴らなかった。
 高島先生は続ける。
「四つ目ですが、これで終わりです。それは、(浅茅)です」
「浅茅?」
 冬来は、まさか、(浅茅)という名前が出るとは思わなかった。冷や汗が出るのが分かる。掌は、ぐっしょりと濡れている。緊張の極みが襲ってくる。脈は速くなり呼吸は浅くなる。だが、ここで動揺すると、いかにも(浅茅)に心当たりがあるように思われても拙いと思い、深く深呼吸をして、出来るだけ平静を装おうとした。
 それにしても、何を材料にして、(浅茅)という名前を見出したのか。昨日の段階では、そこまでの発見はなかったはずだ。となると、今朝の会場内の展示物にヒントがあったのだろうか。既に、コマーシャルは撤去している。考えられるのは、展示されている百首の和歌しかない。その中に、(浅茅)をイメージする和歌があったのだろうか。冬来は、頭を回転させていた。
 そんな冬樹を見つめていた高島先生は、既に、冬来が緊張しているのを見抜いていた。どんなに平静を装っていても心身科のベテラン医師を誤魔化すことは出来るはずがない。顔色が青くなり、交感神経の緊張の度合いも良く分かっていた。本人は動揺を隠している心算かも知れないが、身体と心の反応は、冬来の現状を正直に露わしている。それを、高島先生が見逃す筈はない。
 冬来は、どうしたものかと思い悩んだ。この先生は、全てをお見通しだ。自分が、どんなに隠そうとしても、先生から見ると、お釈迦様の掌の孫悟空みたいなものだ。
「冬来さん、どうですか。(浅茅)という名前に心あたりがありますか。それも、女性だと思うのですが」
 冬来は、先生のストレートな言い方に、どう応えれば良いのか、さすがに迷った。ここで、素面を通しても仕方がないと思ったりもしたが、自分自身で何も確認しないで、結論を出したくはなかった。先生も、そのあたりのセンスはあるだろう。ここは、先生に賭けてみようか。本富士署と岡山の児島署の両警部がいるが、知らん振りをすることにした。
「先生、お言葉ですが、心当たりはありませんね」
「そうですか。心当たりはありませんか」
すると、清澄警部が、先生の言葉が終わるや否や、
「先生、『WAKA』のコマーシャルのスポンサー、明匠製菓へ行きましょう。そこへ行けば、一目瞭然でしょう。全てが解明できるのではないですか」
 そう言うと、渋江警部もそれに同調して、
「先生、そうですよ。今、先生が言った人の名前。これが、あるかどうか調べましょう。そうすれば、客観的にも証明が出来るわけですから」
「私も、そう思います」
 由美子も遅まきながら、二入の警部の意見に同調した。どう見ても、現時点での、最も疑わしい点の解明に際しては、全てが明匠製菓の『小倉百人一首展』にあると言っても良かった。そうであるならば、当然、そこを徹底的に追求するのが、常識的に言っても正しいことになる。
 冬来は、辛い立場に追いやられている。このままでは、浅茅和歌子を守り通すことは出来ない。彼等の言っている事は、至極、真っ当な事だ。自分も、彼等の立場にいれば、そう思うのは当たり前のことだ。さあ、どうするか。冬来は、高島先生の次の言葉を待った。
 先生は、両警部と由美子の話を、目を閉じながら聞いていた。その態度には、ある決断を意識しているように見えた。それは、今までの経緯を振り返れば、彼等の言う通りにするのを躊躇う事は出来ない。それよりも、今は、冬来の立場を守るよりも、事件の解決が先決だ。冬来にしてみれば、彼流の都合があるのかも知れないが、ここでは、それは、全く意味を成さないことだ。
「冬来さん、ここは、警察に協力することが大事だと思います。二人の人が殺され、一人は行方不明になっています。あなたの立場と気持ちは理解できますが、我儘は通用しません。ここで、あなたがどんなに頑張っても、警察は、必ず、明匠製菓を捜査することになります。それは、時間の問題ですよ。それよりも、あなたのスポンサーに迷惑をかけない前に、あるいは、危機が訪れる前に、手を打ったほうが懸命だと思いますよ」
 冬来は、高島先生の言葉に愕然とした。この数十分かのやり取りの中で、それぞれの立場に足跡を残し、最小の被害で済ませようとしているのだ。すでに、昨日から今日の「ウコンの後ろ」の解明までの間に、この事件の全貌を読んだに違いなかった。だからこそ、冬来にそう言って、決心を促しているのだ。
「冬来さん、私が事件の解明までの話を、これから、いたします。その後に、あなたの話をお聞かせいただければと、思います。待っていますよ。あなたの決断を」
 高島先生は、お茶を一服すると改めて座りなおした。冬来以外の三人も、これから、何が始まるのかと緊張の糸を張り巡らしている。


「それでは、現時点で考えられる範囲内で、今回の事件を推理してみましょうか。まず、最初ですが、この事件の背景は、二十五年前の岡山県にあったと思われます。そのポイントの一点は、同人誌『山陽百人一首』です。第二点は、由美君のお父さん、謙次郎さんの職業である不動産屋が絡んでいること。この二点を、まず、抑えておく必要があります。
 この事件の犯人は、二十五年前に何かの弾みで起きた事件の復讐をするために、綿密な計画を立てたのです。ですが、その事件の詳細については分かりません。だが、復讐を誓った事は確かです。
 事件後、何らかの理由で『山陽百人一首』は解散し、同人は、日本全国てんでんばらばらに散りました。その結果、誰が何処に住んでいるのか、殆どの人が、行方知れずになってしまった。肝心の事件に関係した人達も、当然、その中に含まれていた事は、間違いありません。それが証拠に、被害者の石本二郎は、石川県小松市。桜井将夫は、宮城県の松島で、生活をしています。つまり、この二人は、ある事件の主役を演じていたものと考えられるわけです。  犯人は、復讐を考えました。というよりは、常に、意図していたのでしょう。どこかで、チャンスを待っていたのです。
 だが、今、申し上げたとおり、日本国内で、誰が何処に住んでいるのか、皆目検討がつかない。ましてや、二十五年間の時間は、人間を大きく変貌させることは請け合いです。
 行方知れずの人を捜索するとしたら、由美君、あなただったら、どうしますか?」
 高島先生は、不意に、由美子に意見を求めた。予想もしなかった先生の質問に、由美子は舞い上がってしまった。何て答えたらいいのか。あまりに突然だったので、返答が出来なかった。
「由美君、簡単には答えられないでしょう。それで、いいのです。普通の人だったら、そういう態度を取るのが普通です。相手が何処に住んでいるのかが分かれば、手紙、電話、メール、あるいは、人伝に伝えますね。一方で、何処に住んでいるのかが分からなければ、どうしますか?」
「どうするのですか?」
 由美子は、不思議そうな顔をした。
「現に、石本二郎、桜井将夫の周辺を探ってみても、電話や手紙、メールなどの通信手段の痕跡は残っていないのです。そうですよね。清澄警部」
 今度は、清澄警部に話を振った。清澄は、急に立ち上がると、
「その通りなのです。石本二郎の勤務していた小松市の県立F高校にも、自宅にも、それらしき情報は来ていませんでした。彼の家族にも、心当たりはなかったのです」
 その話を聞いて、今度は、渋江警部が続けた。
「桜井将夫も、石本二郎と同じで、彼が、どうして岡山、それも鷲羽山に行ったのか?何がそうさせたのか?全くって言っていいほど、分かっていないのです」
「そう。犯人は、被害者宅の記録に残るようなメディアは、意図的に使わなかったのです。万一、記録が残れば、そこから破綻することになりますね。我々が、気がつかないメディアを使っていたのです。それも、メディアだけの問題ではなく、そこに載せるメッセージまでにも、意外性があったのですよ」
「先生、それって何ですか?」
 由美子が、また聞いて来た。昨日の、先生と冬来の話を聞いていなかったのかも知れない。あるいは、忘れてしまったのか。
「犯人は、復讐する相手が、『山陽百人一首』の同人であることから、これを使うことにしたのでしょう。それも、行方知れずの相手に、メッセージを発信するとしたら、全国メディアの使用をイメージしますよね。
 それじゃ、そのメディアはなにか?新聞か?雑誌か?ラジオか?インターネットか?何れも違います。そう、残っているのはテレビです。テレビを上手く使ったのです。テレビでメッセージを発して、上手くコミュニケートできたら、それは、他の通信手段のように記録に残る事はありません。犯人は、そこを狙ったのです。冬来さん、ここまでの話を聞けば、あなたも理解できるでしょう。犯人は、テレビの特性を良く知っていますから、こんなアイディアを思いつくのは、本人にとっては簡単なことだったのですね」
「先生、テレビを使うってどういうことですか?」
 渋江は、明匠製菓が関係している事は聞いていたが、内容については細かい説明を受けていなかったので、高島先生の言っていることは、良く理解できていなかった。
「渋江さん、こんな事をプランする人は、そこそこのポジションにいなければ出来ません。なぜなら、テレビをフルに活用するわけですから、権限とアイディアが必須です。それほどの知恵者じゃなければ、今回の事件は起こせなかったでしょう。
 犯人は、テレビコマーシャルを使う事を考えました。被害者に対するメッセージをテレビコマーシャルで発信したのです。テレビは、なんだかんだと言っても、家庭における娯楽や世の中を知る事に関しては、右に出るものはありません。そこを突いだのです」
「どういうことですか?」
 清澄が、腕を組みなおして聞いて来た。
「犯人は、企業の宣伝部の幹部になったものと思われます。それは、先刻来、説明している通りです。その会社は、明匠製菓です」
 冬来は、その会社名を聞いた瞬間、ピクッと身体を震わせた。ここまで来ると、浅茅和歌子の名前が出てくる。そうすれば、知っている範囲で話すしかない。そんな覚悟を決めて、高島先生の続きを見守った。
「由美君、テレビの番組でもコマーシャルでもいいのですが、自分にとって気になる情報を見たとしたらどうしますか?」
「それは、内容にも依りますが、テレビ局かスポンサーに連絡を取りますね」
「そうでしょう。その通りです。犯人は、そこを狙ったのです。つまり、何処に住んでいるのか分からない被害者に対して、過去の出来事なのか、それとも、それ以外の事を思いださせるためにコマーシャルを流し、敢えて、被害者に連絡を取らせように仕向けたのです。それが、明匠製菓の『WAKA』のコマーシャルだったのです。
 冬来さん、お頼みしておいたコマーシャルをお持ちいただけましたか?」
「えぇ、持ってまいりました。どうぞ」
 冬来は、ビデオテープを差し出した。高島先生は、それをTVに入れると、スタートボタンを押した。三十秒と十五のそれぞれ二種類の内容だった。
Aタイプは、

(瀬戸内の 霧に埋れし 見る影は
( 幾重の島に 降れる五月雨

 これは、石本二郎の和歌です。それから、
Bタイプは、

(碧藍の 境に点在 緑島
白き軌線に 夏の来ぬ見ゆ

 この和歌は、桜井将夫のものです。
 内容は、瀬戸内海をイメージするような背景。これは、多分、「山陽」を思い浮べさせるようにしたのでしょう。その上に、『山陽百人一首』の中の、被害者の作品をスーパーインポーズしています。同人以外の人が、このコマーシャルを見ても、何も感じないでしょうが、当の本人がこれを見たら、驚きの声をあげ、直ぐにでも確認の作業に入ると思います。実際に、石本も桜井も、それで動いたのでしょう。それだけでなく、由美君の父親、謙次郎さんも同じアクションを取ったのです。どちらが先に動いたかは、いろいろの見方がありますが、私は、最初に動いたのは謙次郎さんだと思っています」
「でも、先生。そこまでは理解できましたが、その後、具体的に彼等被害者をどのように動かしたかが、分かりませんよね」
 由美子が、痛いところを突いてきた。だが、その通りだった。情報は片道だけでは成り立たない。テレビコマーシャルを用いて、被害者にメッセージを到達させてとしても、そのリアクションがなければ意味がない、今回の場合は、被害者の東京と岡山への移動が、そのリアクションにあたる。
「由美君、相変わらず、鋭い質問をしますね。あなたの言うとおりです。先生も、そこのところに、今一、腑に落ちないところがあるのです。つまり、テレビコマーシャルで、情報を受けた被害者の能動的なアクションは、どのようにされたのか、という事が、疑問として残っています」
「そうですよね。受けたメッセージに、当然、反応したわけですから、それに対する反対の反応、つまり、東京、岡山へ行った直接的なものではなく、その前の段階の反応・行動があった筈です。それは、どのようにしたのかしら?」 「その通りですね。そこでなのですが、私は、そこに、謙次郎さんが絡んでいると思います。金沢での一件、それに、松島へ行くとの携帯電話のメッセージ。それらが、その事を如実に語っていると思います。そうでないと、一体、謙次郎さんの役割は何だったのか、ということになりかねません」
「父は、何をしたのでしょうか?」
「それは、これから説明をするつもりですが、取敢えずは、仮説として、復讐劇の事件としておりますが、まだ、最終的な判断はついていないのです。ですから、謙次郎さんが何をしてきたのか。あるいは、今回の事件での役割は何なのか。今の段階では、言いようがありません。
ともかく、二人の被害者は、このコマーシャルを見て、動き出した事は確かです。私達は、被害者を移動させた通信手段を、いろいろ、考えてきましたが、実は、想像だにしなかった、テレビコマーシャルを使ったメッセージだったのです」
 高島先生は、そう言って、深い溜息をついた。他の四人は、黙っていた。中でも、冬来は、顔を下に向けたまま、起こそうとはしなかった。何となく、高島先生以外三人の、強い視線を感じていた。ここまでの内容は、犯人の可能性を決定的に語っているのだ。それを、高島先生は知っているから、冬来の決断を待つと、言ったのだ。
 冬来は、高島先生に質問した。そうせざるを得なかった。(浅茅)という名前の出所を、どうしても知りたかった。昨日から今日の今まで、一日も経っていないのに、なぜ、(浅茅)が浮かんできたのか?
「先生、先ほど、幾つかの名前をお出しになりましたが、あれは、何処から出てきたものなのですか?」
「冬来さん、気になるのでしょう。それは、そうですよね。あの中に、心当たりの名前があったのですから」
 高島先生が、当然、分かっているような言い方をした。それを聞くと、渋江警部が、
「その人は、誰なのですか?冬来さん」
 と、畳み掛けた。
「渋江さん、もうちょっと、待ちましょう。それよりも、冬来さんの疑問に答えるといたしましょう。皆さんだって、知りたいでしょう」
 その通りだった。ここにいる四人は、先生があげた四人の名前が、どうして出てきたのか全く知らなかった。先生が、当てずっぽうで言っているわけではない、ことは理解していた。しっかりとした根拠があるのだ。
 結局、四人は、先生の説明を聞くことになった。
 高島先生は、両殺人事件の現場にあった、ダイング・メッセージと思われる「ウコンの後ろ」の解明の経緯を丁寧に説明した。ここにこそ、犯人を特定するヒントがあったのだ。それ故、「ウコン」に纏わる背景を、初期捜査の段階から逐一、報告した。が、昨日までの捜査では、殆どと、言っていいぐらいに、触ることさえ出来なかったのだ。
 それが、今朝、今までの遅捜査を一転して、一気に核心に迫ることになった。百人一首の三十八番の右近を目の当たりにした時、そして、その後ろの三十九番の和歌に、読み心を奪われた時、「ウコンの後ろ」のメッセージの意味が氷解したのだ。
 高島先生は、三十八番、三十九番の和歌を、紹介した上で、それが、暗示している内容を懇切丁寧にした。そして、この事件が復讐であったこと。「ウコンの後ろ」はダイング・メッセージで、その中に四件の名前が隠されていたのだ。

 
(あさじふの をのの篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき)

 冬来は、漸く納得した。先生の話を聞いていると、まさに、(浅茅)と、言う名前が出てくる。(あさじふの)この上の句は、(浅茅)だ。これは、否定のしようがない事実だ。これでは、残されたダイング・メッセージが、(浅茅)が犯人だと、ものの見事に語っている。どんなに自分自身が、いくら弁護をしても庇いきれない。
『WAKA』のコマーシャルで明匠製菓は、すでに特定されている。それに加えて、ダイング・メッセージの(浅茅)。
 もう、時間の問題だ。高島先生は、もうとっくに、特定しているのだ、冬来の一瞬の動揺を見逃してはいない。一連の動きの中で、少しでも関連する部分があれば、それを、統合化して、一つの結論を導き出している。もう、これ以上、誤魔化すことは出来ない。先生の優しさに応えるためにも、自らの態度を見せるしかない。だが、これは、浅茅和歌子を裏切ることではない。彼女を守るためにそうするのだ。冬来は、決心した。
「先生、確かに、明匠製菓に浅茅という、女性がいます。仰せの通り、宣伝現場の責任者で、宣伝課長をしています。今回の『WAKA』の開発責任者も兼ねています。ですが、私は、浅茅課長を良く知っておりますが、とても、この度の事件を起こすような人ではありません。何かの間違いだと思っています」
「冬来さん、よく言ってくださいました。その言葉を待っていたのです。あなたの、その浅茅さん、という女性を思う気持ちは分かりますが、これは、殺人事件です。一時の感傷に慕っていてはならないのです。いいですね。ところで、その浅茅さんは、どういう方なのですかね?」
「それは、今、申し上げた通り、明匠製菓の宣伝課長です。彼女のプライベートについては、全く知りません。おそらく、会社で身近にいる人たちでさえ、知らないと思います」
「それで、その浅茅課長は、今、何処にいるのですか?」
 と、高島先生は直裁的に冬来に聞いてきた。痛いところをストレートに突かれた。ここまで来ていて、これ以上は逃げを打つ事は出来ない。全てを開示しようとしている、高島先生の姿を目の当たりにして、裏切るような態度は取れない。今は、素早い対応をして、先生の信用を得ることの方が大事だ。冬来は、一呼吸を置いて、
「先生、課長は、遅い夏期休暇を取っています。岡山の菩提寺に墓参りに行くとの事でした。それが、四日前です。来週早々にも戻ってくると聞いておりますが、それ以上のことは分かりません。当然のこととして、昨日から、連絡をしているのですが、全く音沙汰はありません。連絡がつかないのです」
 今まで静かにしていた、清澄、渋江両警部は、冬来の話を聞くや否や、携帯電話を持ったまま走るようにして、その場を離れた。直ぐにでも、浅茅和歌子の手配をして身元を確保しようとしたかったのだ。冬来にすれば、この場では、彼等のなすがままにするしかなかった。
 どんなに気を遣っても、それ以上に浅茅和歌子を守る術はなかった。此処まできたら、こうなるのも仕方がない。当然、こうなることもあり得ると思い、明匠の志水係長には、すでに連絡を入れておいた。薮内社長には、O&Uの吾迦多社長に事情を説明して、二人で、今朝一番で報告をしてきた。その際の、薮内社長の驚きは想像を絶するほどで、緊急の役員会を招集して善後策を講じていた。冬来は、ただ、警察組織が浅茅和歌子を確保する前に、なんとしても、自分が彼女と接点を持たなければ思った。  そのためには、彼らよりも先に、浅茅和歌子の消息を確認しなけらばならない。気が気ではなかった。このまま、ここで拱いていても、浅茅和歌子の行方は知る由もなかった。ただ、時間を無為に過ごすことになる。焦りだけが体中を駆け巡る。じっとりとした冷汗が、肌を覆いつくしてくる。
 そんな、冬来を見ている高島先生が、冬来に視線を合わせて、顔を上に少しずらした。目配せを発した。早く、この場を離れて、浅茅和歌子の傍に行けという、サインだった。
 冬来は、立ち上がると、高島先生に、軽く頭を下げて医務室を出て行った。先生は、冬来の後姿を見送ると、おもむろに立ち上がり背伸びをした。解決は時間の問題なのか。動機も何も分かっていないが、客観的な条件は、浅茅和歌子を疑うに十分だ。この二日間で情勢が、一気に急変した。
 これだけ、緻密な計画を立て、しかも、実行に移す度量は、普通の男でも持てない。それを、女の身で、一部上場企業の宣伝セクションの責任者になり、巧みな操作で自分の目的を達成するために、キャンペーンを仕立てた。そして、ものの見事に成就する。これも、普通の胆力では出来ないことだ。全ての条件を一点に集中させる、「イメージと構想」、それに加えて、果敢に挑戦する実行力がなければならない。
 高島先生は、浅茅という女性の強靭な性を知りたいと思った。何が、これほどまでのエネルギーを発揮させているのか?よほどの使命感がない限り、なかなか、こうはいかない。それに、綿密な計画の中で、一切の証拠を残さない自信があったのだろう。その現われが、ダイング・メッセージの「ウコンの後ろ」だ。敢えてそうしても、警察組織は、このメッセージを読み取る事は出来ないと、挑戦したのだろうか。もし、そうだとしたら、恐るべき自信と頭脳の持ち主だ。
 確かに、Mブックセンターで『小倉百人一首展』のイベントが開催されなかったら、多分、犯人と思われる人を特定する事は、出来なかったかも知れない。だが、世の中はそんなものではないのだ。悪を働き、殺人を犯せば、必ずや身近なところから、リアクションが出てくるのだ。
 現に、浅茅和歌子もそうだ。自分が、久し振りに、時期遅れの夏休みを取ったがために、あれほどの支配力があっても、知らないところでの子飼いの社員や、影響力を保持していた、協力業者の社員のプランが、結局は、彼女を追い詰めることになっている。もし、浅茅和歌子が、ひと安心して夏休みを取らなければ、こんなことにはならなかっただろう。そうすれば、当分の間、捜査は堂々巡りを繰り返していたに違いない。
 彼女は、油断をしたのだ。考えること、成すこと、全てが上手く、しかも、自分の意図した通りに行っていた。だから、これからも、その延長線上で物事が進むと思ったのだろう。上手から水が漏れる。とは、こういうことを言うのか。
 あるいは、周辺にいる人たちが、権力を持っている人に良かれと思い、先走ってしまう場合もある。今回の場合もそうだったかも知れない。普通の感覚であれば、まさか、『WAKA』のコマーシャルに、そんな意味合いを込めているとは思わない。イベントを盛り上げる事を視野に置けば、担当者が、無意識にそうすることも仕方がないことだ。
 その仕方がないことがリアクションになっているのだ。許されない行為に対して警告を発しっている。これは、検察権力の睨みより、実際面では、はるかに効果が大きい。最近では、意識的な内部告発が、形を変えて、許されない行為を糾弾するようになっている。
 浅茅和歌子にとっては、想定外なことが起きているのだ。だが、それがないと、事件の解決には結びつかない。残された証拠。トレースされた推理。それがあって、初めて事件解決の緒につく。追い詰める時間は、過去に費やされた時を一気に挽回する。捜査の時間が圧縮されて、根津神社や鷲羽山の現場が回想できる。とうとう、ここまで来た。自分の努力の結果ではないが、神のご加護か、こうなるべくして、今日の時を迎えられた。
 後は、浅茅和歌子の行方を突き止め、身柄を拘束するだけだ。それは、清澄、渋江両警部の仕事だ。朗報を待つだけだ。高島先生は、傍にいる由美子の肩を、力を込めて抱くと、少し揺らして軽いウインクを見せた。


| エブリディ・ラーニング(小説)TOPにもどる |